ファムファタール、イクノディクタス
2月7日はイクノディクタスの命日である。
昨年までならまったく興味をひかなかったであろう話題であるが、1年とは長く、そして早く過ぎるものだ。そして私は、競馬について話すのは苦手である。何かと泣いてしまうからだ。
それでもイクノディクタスについてなら少し話せるだろう。
私は「ダービースタリオン全国版」で競馬を学んだ。レースに至るまでの用意周到な準備と計画、それらが放つレース中の一瞬のきらめき。競走馬だけでなく、牧場、調教師、騎手ほかにも大勢の人間がそこにいる。ダビスタから得た知識は多い。
時に93年5月。当時私は大阪にいた。
競馬ブームであった。
オグリキャップの華々しい、作られたかのような引退で競馬ブームが終わるかと思ったのだが、ついでトウカイテイオーが登場、メジロマックイーン、ライスシャワーもまだまだ絶頂期だった。しかし、思い返せば93年はそれらが揃って駆けた唯一の1年でもあった。
当時の私は、名前がかっこいい、その一点でイクノディクタスを推していた(今風に言うなら)。出走するならイクノディクタスを軸に買っていた。まぁ、当たらなかった。
そして迎えた93年5月16日。第43回安田記念。大阪も東京も晴れ。馬場は良。
朝から大阪球場の場外馬券売り場でGI相応に馬券を買うと、友人の待つ草野球場へと向かった。その日は草野球1ゲームを約束していたのだ。
レース中継は、その野球後に大勢で王将で遅い昼飯を食べている最中に、店内のラジオで聞いた。結果はヤマニンゼファーが連覇。いつも通りにレース中にはまったくイクノディクタスの名前は出てこなかったのだが、終盤2着争いがもつれ込んだ中に、彼女の名前が出てきた。記憶なのだが、ラジオ中継では2着イクノディクタスと結構はっきり伝えたような気がする。
なぜなら、そのあとの記憶がないからだ。
結果としては、ソフマップでX68000 XVI HDの中古、メモリボード、MIDIボード、MIDI音源、ミキサ、Cコンパイラを買いそろえられた。ACEから一気にXVIに乗り換え、メモリは限界まで搭載した。
ついでにコンソレット18(残念ながら青)を買い、基板を買った。
それくらい彼女は決定的に私の人生に影響を与えた。
イクノディクタスは続く宝塚記念でもメジロマックイーンに続いて2着。これも取った。ありがたい。追ってよかったとつくづく思った(現金)。
しかし、そこまでだった。思い返すと、最後は今では考えられない連闘だった。その中イクノディクタスは故障なく最後まで走り抜けた。その後は繁殖牝馬となるが、牝馬のため産駒が多くはない。現在のようなサンデーサイレンス、ディープインパクト産駒が多数を占めるような事態は決して起こらない。
今でもレースを見るときは、馬も人も無事を祈る。あんな場面はもう見たくない。
そして私は競馬を通じて、寺山修司を知り、天井桟敷、ATGを知りえた。そして「少女革命ウテナ」と出会い、長く長くつづくそれは「少女☆歌劇 レヴュー・スタァライト」へといたる道のりである。