「大魔界村」から逃げるな。

カプコンのゲームはクッソ難しい。それは(ある種の)人類にとって、遺伝子に刻み込まれた、もしくは、種族の記憶として共有されているに違いない。カプコンのゲームは難しい。100円入れるだけ無駄だ、と。

つまり、メガドライブミニがあたかも汲めども尽きぬ泉であるかのように思える理由のひとつが「大魔界村」なのだ。

クリアできない。ステートセーブを繰り返し繰り返しすこしづつ進めるしかない。はたして、人類には、これほどまでに難しいゲームが必要なのだろうか。ゲームはむつかしくあるべきなのだろうか。娯楽なのにこれほどまでに苦痛を強いて許されるのだろうか。

大魔界村から逃げるな。

そう思うのだ。

前作「魔界村」もひどかった。100円泥棒だった。アーケードゲームは料金先払いのため、払ったが最後とてもつれない。とっととお帰りいただくのが仕事だからだ。それにしても1面前半でゲームオーバーなのはあんまりだ。そこでゲームオーバーになってコンティニューなんて意味がない。

結局、ファミコン版を買ってしまい、それもまたなんとかかんとか1周して限界だった。カプコンの思う壺。

そして「大魔界村」。「魔界村」でだめだったのに、なぜか「大魔界村」もしっかり手を出した。カプコンの思う壺。

が、しかし、「大魔界村」はちょっとだけ1面が簡単だった。上下ショットがあったからかもしれないし、魔法があったからかもしれないし、鎧を拾う確率があがったからかもれしれない。もしくはカプコンが考えを改めたか。

あと、当時私が通っていたゲームセンターは100円2クレジットだったのだけれど、周知徹底されておらず、運がいいと10クレジット、平素で3クレジットくらいは残っていた。私は自分の100円にそれを加えてプレイしていた。

まぁ、それでも3面が精一杯でした。やっぱりカプコンのゲームだった。

家で遊ぶのが一番だ。というわけで、メガドライブ版を購入した。

まぁ、あの3ボタンコントローラーが余計な難易度加算要素になってたものの、1周はいけた。魔界村シリーズは用意された答え、それも、糸を針に通す、剣の上をあるくようなパターンを正確に入力するゲームだから、発見し、練習しつづければ、ある程度まで、その人の技量の限界までは到達できるゲームだった。

そのパターンがひどいんですが。こんなにも難しいゲームが必要だったのか。当時のゲームが少ない時代ならともかく、今、この難易度が許されるのか。難しいのは許すとしても、難しすぎるのはどうだ。お前のことだぞ「アームドポリス バトライダー」。

と、まぁ、30年たっても、また「大魔界村」をプレイして、怒って、それでもまたプレイするのでした。大魔界村から逃げるな。