この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
池澤夏樹「スティル・ライフ」
インターネットにはポエムがあふれている。だから私も書こうと思ったのだ。
「スティル・ライフ」を読んだのは、すでに若くないときだった。それでも、その冒頭のぴかぴかした言葉は、つるつるで、あっというまに私の奥まで潜っていった。そして私の一部となった。私の世界の一部となった。
透明感っていうのは、そういうつるつるさ、抵抗のなさ、あっというまに奥まで届いてしまう性質を指すのだ。
しかし、もう若くなかったので、そういった「世界」とは別に「社会」が存在していて、ふたつの世界の間に立っているとも知っていた。
そう「世界」と「社会」は別の存在だ。この2つを混同するのは不幸の第一歩だ。ただ、残念だが私たちは「社会」を使わなければ「世界」を維持できない。そういうふううにできている。
最近、社会がずいぶん物騒になった。2つの「世界」に攻撃的だ。とりわけ私の中の「世界」に。
いろいろなトランプ大統領の言葉を読んだとき「虐殺器官」を思い出した。そしてたとえどれほど遠くとも、私と彼とは同じ「社会」に居るのだから影響はあるのだが、そこまで気づけなかった。残念だが。
「遺伝子に刻まれた脳の機能だ。言語を生み出す器官だよ」
脳のなかにあらかじめ備わった、言語を生み出す器官。
その器官が発する、虐殺の予兆。
伊藤計劃「虐殺器官」
最近は日本国内で虐殺の言葉を目にする機会が増えた。これが物騒に感じる理由だ。
「あなたは被害者になるはずだ」
「あなたは被害者のはずだ」
「あいつは敵のはずだ」
「あいつはずるをしているはずだ」
「あいつは悪い奴のはずだ」
「だから、あいつは攻撃していいはずだ」
虐殺の言葉は私が思ってもいないことを、私が考えたかのように伝えてくるのが、もしくは、私もそれを考えていたと思わせる。
そうやって虐殺の言葉は「社会」の「空気」を変えていく。とてもとても攻撃的に変えていく。未来を変えていく。
われわれは情況の変化には反射的に対応はし得ても、将来の情況を言葉で構成した予測には対応し得ない。
山本七平「「空気」の研究」
虐殺の言葉に反射的に対応した人たちが、空気を作り、未来を作っていくのだ。次第に、社会と、個人の世界の中にまでしみこんでいく。気づきもさせずに。
空気とはとても透明だからだ。
空気に従うのは無責任だ。だから従うのなら「私は空気に従った」と自発的に決定しなければならない。決定の責任は自己にあると理解しなければならない。理解しない人は、そういう空気だった、という。責任を空気に設定する。そして、自分も無責任だと、そういう人に同意するしかなくなる。
日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというよりは、多分に情緒や空気が支配する傾向がなきにしもあらずであった。
共著「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」
いまだに「失敗の本質」の指摘からなにも学んでいない。
虐殺の言葉は空気を作る。静的な言葉しか使えないインターネット上ではすぐに虐殺の空気ができあがる。
だからインターネットはすでに内戦状態だ。
インターネットが社会となった今では、現実に内戦に発展しても不思議ではない。そして、そういう「空気」がある。
みんなどうしたんだ。どうしてそんなに攻撃的なんだ。なにと戦っているんだ。不幸だからか。
でも、攻撃をしても、自分の中の世界は幸せにならない。