ライトノベルの地層

今期のアニメは「最弱無敗のバハムート」を見てます。安心の石鹸枠。以前、京極夏彦が「不可解な現象に名前をつけるのが妖怪の役目」といわれていたのを思い出します。ああいうアニメを「石鹸」と名づけたのは便利ですね。「星刻のドラグナー」は死して石鹸を残す。

「バハムート」を見て感じるのは、いま自分は歴史を体感していて(いわゆる時代と寝た体感か)後年、今をどう名づけるのだろうという疑問です。2014年くらいから「小説家になろう」系の異世界チーハム無双の出版が珍しくなくなり、2015年はもはや売れるのは電撃かなろうになったような錯覚まで感じました。

ライトノベルの歴史、地層として今を名づけるのなら「なろう」時代となるのか、それとも「石鹸」時代か。この石鹸枠なのですが、私としては「ISコピー」枠なので「IS」時代と名づけても違和感がありません。

女の子だけが戦闘用能力を獲得する世界で主人公だけが男でありながらその力を持つ。そしてその力は若年層のみが得ているため、大人は物語にほとんど出てこない、出てきても敵となる。物語の舞台は若年層ゆえに学校になる。

いわゆる「テンプレ」ラノベフレームワークですが、アニメ化しやすさだったり、もともとアニメ化企画として出版されたりと事情はいろいろあるとは推察します。

売れたのをアニメ化するのではなくて、売るためにアニメ化すると前後が逆になった時間が流れて久しいです。「ハルヒ」がアニメ化されて今年で10年ですか。ゼロ年代は「ハルヒ」の時代だったのでしょう。ライトノベルの地層としては「ハルヒ」時代。妙な部活のラノベが多かったです。

それらは息絶え10年代は「IS」時代となるのか。当然ですが過ぎてからでないとわからないです。

まつだはカクヨムを応援しています。

さらば「乙女な王子と魔獣騎士」。

あきらめるんだ。「乙女な王子と魔獣騎士」の続きはもうでないんだ。

ツイッターで作者ご本人が「3巻かきたい」とつぶやかれていたので、悲しい気持ちになった。ついにラノベは2冊できられる時代になったのか。2冊できるのはスニーカーだけじゃなかったんだ。

確かに2巻は2巻だった。大きな話がはじまるとしたら次からだろう。なのにそこまで届かなかった悲しみ。新人が2巻で重版かからないと続きがかけないとしたら、3次を救う意味ってあるのか、とは思う。

確定なんかなー。続き、読みたいなぁ。今公開されている短編と電撃文庫マガジンの短編を集めたら1冊にならんかな。無理か。

ミスボドでリッチに。

昨日はミスボドに。最近、遊ぶだけです。堕落。

ツイッターを見ると初めて参加します、とつぶやかれている方をぼつぼつ目にする。ポーカーからボードゲームに触れる方もいて、先月同様にまだまだプレイヤーは増えるんだなー、と感じてました。

その延長線上なのでしょうが、繰り返し遊んだゲームでも「初めてあそびます」という方にもけっこう出会いました。ボードゲームに限らないですが、触れていない、遊んでいないゲームはすべて「新作」ですから、これから発売される新作は大変だな、と。ボードゲーム経験者に皆様におかれましては、よい「篩」になってほしいものです。旧作だけに。

私は「チグリス・ユーフラテス」を持ち込んだのですが、これが結構遊んでいない人が多いんですよね。大勢がルールを知ってるもんだと思って買ったのですが、これが思いのほか知られていない。名前は知ってる、とはよく聞くのですが。

昨日は初プレイ4人。インストがなんとけがわさん。けがわさんが日本語版をインストですから、間違いがないです。なんというリッチなゲーム体験。プレイ中に横から口出しちゃって申し訳ない。将棋なら首を切り落とされる失態でした。

 

そして、今回はなんといってもザナドゥ! にゃかのさん、ありがとうございました(私信)。すっごい楽しみです。当時のムックもこれまた楽しいです。はたして遊びきるのに何年かかるのか。「シナリオII」は私にとっては新作です。

 

でもって、以下いつものプレイリスト。全部初めてのゲーム。

 

 新発売の日本語版「サンクトペテルブルク」を初プレイ。拡張ましましでいってみよう!

最初の職人カード購入で間違った感じで収入が少ない展開に。建築物の購入の出遅れてしまう。しかたがないので未来に期待してカードを手札にキープする方式を採用。

結果、4ラウンドでゲーム終了。なんとか2位でした。1位はぶっちぎりでしたので、この結果には満足しています。何度となく長考したのも楽しかった! 長考大好き!

 

ゲーム置き場でこれを見つけたときの心のときめきを君と共有したい。持ち込んでくださった方、ありがとうございます。

その場でルールブックを読んで遊ぼうと計画。だって誰もインストできないんだもん。読み終わったらすぐに4人あつめてプレイ開始。さぐりさぐりのインストから、暗中模索のプレイに突入。クリーチャーのテキストを読まずに。

マナを置いて、アクション、クリーチャー召喚。ゲーム終了条件は30点獲得か、クリーチャー10体召喚時にプレイヤーの宣言。序盤は30点取れるのか疑問だったのだけれど、クリーチャーがすげぇのなんの。毎ターン7点叩き出す場ができあがった。

1位が72点、私が36点だったかな。あひょー。最強おもしろかった。拡張がなんぼでも出せそうな予感。

 

  • テーセウス

宇宙船の中でいろんな宇宙人が殴り合う。20点ダメージを与えたり、調査点を得ると勝利。アメリカのゲームは宇宙が多いですな。「ギャラクシートラッカー」「レスパブリカ」とか。いわゆるユーロゲームが歴史テーマが多いので、ここは文化の違い、市場の違いなんですかね。ビデオゲームから宇宙が消えてなくなって久しいので、デジタルとアナログにもなにがしらかの文化的断絶があるのかもしれない。そういえば「エクリプス」が遊ばれてました。1ゲームに6時間くらい。これまたリッチなゲーム体験。BGGでみるアメリカのゲームプレイスタイル。休日の朝から友人宅で食事とゲームを楽しむ。これですね。

で。

「テーセウス」なのですが、ランダム要素がほとんどないのが印象的。ほっとんどの情報が公開。移動力も公開情報。なので他プレイヤーの手も考慮情報となるので、これまた長考しちゃうゲーム。

結果は1位。殴って得点する種族だったのと、殴りやすいアクションカードとの組み合わせで1手番で3点とれたりしたので非常に楽だった。

 

  • カウンシル オブ フォー

「テーセウス」とは打って変わって、いかにもユーロゲーム。欧州の中世時代を模したボード上の都市に家を建てて得点する。建設には許可証が必要で、それを4つの議会が発行する。

なので、まずは議会に陳情へ。んでも議会の4人の議員の色に合わせた手紙が必要で、まずはこの手紙を手に入れる。時には議員を都合よく入れ替える工作も必要となる。この工作でなぜかお金がもらえる。なぜだ。

建設時にボーナスがあるのだけれど、隣接都市に建設するとそれももらえるので、終盤に向かうにつれてボーナスのコンボが牙をむく。金も手紙も思うままに。

手番順が最後になって、10金をもって開始。ふむ、後手番がリソース優位で始まるゲームは、えてして手番ゲーなわけで……。

結果は20点くらいで最下位。1位が1番手だったので、思った通り手番ゲーじゃねーか! と留飲を下げました(2位が3番手でしたので手番ゲーじゃないよ、謎のフォロー)。

 

 4つ遊んで20:30。時間が早すぎ、疲れすぎ。最近、ボードゲームで遊んだあとにやたら疲れるようになりました。なんだろう。

 

ではまた。

ミスボドに行くと75日寿命が延びる話

あけましておめでとうございました。ミスボドで遊んできました。今回から新ミスボド。

今回はこれまで以上に(いわゆる)初心者卓が盛況だった。なるほど、会場をみると初めて会う人が多い。これが新しさか、なんて一人得心。

昨年のゲームマーケット春くらいからかな。ボードゲームの伸長はこのくらいの規模が最大伸長でここから維持する戦いが始まるのだ、とかかって思ってたのですが、勝手な老害でした。まだまだ拡張してくんだな。コンゴトモヨロシク。

というわけでもないですが、今回は初めて遊ぶゲームばかりでした。

 

  • AKINDO

 「義理人情」と箱の大きく書かれたゲーム。なぜか「AKINDO」。小銭を稼いで、商品を購入する。義理人情なんてなかった。平たく言っちゃうとカードを競りおとすテキサスホールデム。ゲーム終了条件の30点獲得の勝利宣言がいまひとつルール理解に合致しなかったのだけれど、山札切れでも終了なのでそっちでいいのかな、と想定してゲームスタート。

当然なのだけれどフロップと手元の銭との兼ね合い、完全なカウンティングでの相場感が必要なゲームだった。義理人情とは。

なんとか一役できてゲーム終了。勝者が30点だったので、勝利宣言はやっぱり無理だな、とルール理解に満足した。テーマを変えればもっと面白くなりそうな感じ。入札先の提示を「ランカスター」の投票権タイルみたいにして握り競りにすれば遊びやすくなりそう。

 

  • タンクハンター(旧版)

Panzer vor! タンクハンター、しかも旧版だぜ! あほか! カードの色使いがビビッドすぎて古さを感じさせるのだけれどゲーム内容は色あせない。サイコーに楽しかった。

 わが軍にディールされた軍隊は、歩兵*2、高射砲*1 イタリア軽戦車*1 ドイツ中戦車*1。勝てるわけねーよ。歩兵多すぎだろ。タンクハンターじゃないのかよ。スヌーピーの心持でゲーム開始。えー、ほかのプレイヤーの戦車が強すぎるんですが。このあたりのむちゃくちゃさが素晴らしい。何回も遊べばこんな不平等感はなくなりますからね。1回しか遊ばないと、運ゲーじゃん、で終わってしまいます。

軍隊カードがしょぼかった代わりでしょうか、イベントカードの引きはいい。すごくいい。ただし補給カードがまったく引けない。右隣のプレイヤーはばんばん補給していくのに、わが軍はいまだ5部隊(2部隊歩兵)なのに。

エンチャント、インスタントを駆使して、なんとかイタリア軽戦車が敵プレイヤーの重戦車を撃破した瞬間がクライマックスだった。ドゥーチェ! ドゥーチェ! ムッソリーニ! ( ゚∀゚)o彡゚

なお、その後は順調に敗退した模様であった。いわいしさんが1抜けだったのでよしとします。

勝者は1110点を獲得。そういうゲームじゃないから、これ!

ゲーム終了後はみんなして山札をめくって戦車カードを確認。カール自走砲センチュリオンあるじゃん! あと新版にはぜったいないカードもあった。時代が許したのだろう。次回、タンクハンターイェーガーにご期待ください。

 

  •  ギンコポリス

銀杏の未来都市。東京だよね。いわゆる都市拡張ゲーム。この手のゲームだと施設名があってそれぞれの能力でアドを得ていくのだけれど、このゲームはそれがなく、拡張時に使用したカードに機能があるので、他人のそれに便乗、横取りが発生しない。この他プレイヤーとの関係性の有無は好みのわかれるところかな。

ルール説明を受けてゲーム開始。なんだけど、まだ今一つルールが判らない。ルールというか、勝利のために何を考えればいいのかがさっぱり見当がつかない。フレーミングがまったくできないのだ。

結果、しばらく無言でプレイ。自分の手元をみて選択肢を確認、理解して、他プレイヤーの手を見て、自分の一手を考える。都市の拡張とそのエリアマジョリティ、自分のデッキ作りと同時にできればいいのだけれど、手札がそれを許さない。

手の選択肢は手札と手元のタイルとで有限なのだけれど、その評価方法がなかなか判んない。最初はカード効果がしょぼいので後にむけて手の幅を広げるべきなんかなー、と判断して方向性はそちらに。

 結局、最終ボーナス得点が弱すぎて26点で最下位でした。うーん。なるほど。

 

受付でみて面白かったのでドラゴンマガジンを久しぶりに購入。巻頭ピンナップがフルメタルパニック四季童子)、天地無用のカラー特集、巻末がスレイヤーズ!特集と2016年とは。セイバーマリオネットの特集も近い。

新しいとは。

ミスボド最終話「蒲田より永遠に」

 昨日はミスボドでした。なんですが19時到着でした。不摂生。

見てみれば、あきやまさんがグラブルを遊んでていつもどおり。リッパーさんはなにもしてなかった。いつもどおり。大勢でビデオゲームを遊んでるのって、昭和のテクノロジーだと思うのだがどうか。

年末恒例(2回目?)のミスボドゲーム大賞の投票と発表でした。みたところ、ますおかさんの2連覇でした。私は「ブラックウィーン」に投票しました。今年はノックを成功させたからです(身勝手)。

投票リストを見ると投票対象が「今年遊んだゲーム」だったので、新旧入り混じっているのだけれど、当然ながら旧作のほうがおおい。新作は新作同士で評価を勝ち取るだけでなく、旧作とも戦わなければならない、プレイヤーから見れば新旧どちらも等しい選択肢なのだ、とみるのなら、やはりボードゲームは「出版物」なのだなと改めて感じた次第。

風雪に耐えた旧作に対して選ばれようとするならば、相応の特徴が必要で、それがデジタルゲームであれば「基本無料」なのだな、と考えています。ラノベなら「なろう」であり、音楽なら「ニコニコ動画」でしょうか。いずれも基本無料。また、かつてボードゲームはデジタルゲームに比すると安価なのが特徴の1つだったように思います。将棋の盤コマがあれば、トランプ一組あれば遊べる、とか。あ、受付でみかけた「デレマス」の花札はよいデザインでした。そう、あれはよいものだった。

ボードゲームを買う、のは中級者でしょう。ミスボドでは初心者卓がかならず用意されるため意識するのですが、初心者の定義、中級者の定義としては、それなのではないでしょうか。ボードゲームを買う、本を買う、音楽を買う、といった行動はこの時代では一線を画す行動になっていくのではないでしょうか。過去は普通であった行動なのですが、時代とともに変わっていくのでしょう。かつて映画がテレビに置き換わったように。

以上今月のコラムでした。

 

遊んだゲームはひとつ。「ビッダーズ」。ワンモアゲーム!さんの新作です。

ルール説明だけは受けたのですが、ゲームの物語を聞きそびれました。王を支援するのか、王子を支援するのか。支援者数で競り落とすと勝利点を獲得する。なのだけれおど、王を競り落とすと勝利点は多いのだけれど人心が離れるため、ゲーム終了時にあしきりを食らう可能性がある。競りゲームなのだけれど、勝利点(価格)は直接操作ができるところにビッドだけでない相場観が必要だった。

勝利点が公開情報のため、後半以降は詰め将棋のように相場が決まっていったのが印象的だった。競りゲームで判断基準が公開情報だと答えがあるよなー、と思った次第。

このゲームでもう一点印象的なのがコンポーネント。勝利点用のコインが含まれていません。そのためこのゲームが用意しているのはカードと投票用トークンコマのみ。デザインとしてはミニマムの系列なのですね、これ。非常に好みのデザインです。今回はクク21のコインでしたが、私ならビール公爵のそれを使いたいですねー。

あと、ずいぶん久しぶりに勝又先生と遊んだのでうれしかったです。

 

そのあとは二次会忘年会。なのかな。ずいぶん久しぶりに月とすっぽんに。いやー、狭かった! とはいえ、この雰囲気はまちがいなくミスボドの二次会でした。あー、話したいな(より正確には一方的に聞きたい話題がある)と遠くからいろんな人を見てました。

さて表題。今回でミスボドは最終回でした。おつかれさまでした。

来月からはミスボド蒲田としてかわらず続けられますが。ミスボド名古屋があるのですから、名称変更ですね。

大勢の人が集まって、なんやらかんやら遊んでいきたいのです。

あと、来年の目標は県外のゲーム会に行きたい、ですね。あらいさんに期待しています(寄生虫)。

 

ではまた。来年。チーキーモンキーでお会いしましょう。課題図書ネタも来月から再開しましょうかねー。

「量子カノジョ」が好きだった

2015年のアナログゲーム新作でもっとも好みだったのは「量子カノジョ」だったので、それについてつらつらと。

春のゲームマーケットで偶然にブースの前を通り、いったん通り過ぎたのだけれどすぐに戻って購入した。本を選ぶ時も同じでまずタイトルが好み。ゲームマーケットとなると、これだけで満足なんだけど実際にプレイしてみると、それで成立する物語性にただただしびれるばかりだった。成立しえないお嬢様、高嶺の花先輩は放課後に商店街に繰り出し、ちょっとすねてる後輩はなぜか君を意識している。そしてなにより、最強でありながら、その存在をもっとも認識できない幼馴染。デザインとテーマとがしっかり噛み合って、この雰囲気が好きな人ならまず独特の体験が心に残る。

ゲームとしてはインディアンポーカーなのだけれど、プレイヤーが得る情報は場に出されたカードではなく、どうしてほかのプレイヤーはそのカードを場に出したのか、を深く深く考える必要がある「スルース」も顔負けの推理ゲームだ。推理するのは心理。ゲーム中の情報をもってして、ゲームの外にいるプレイヤー心理を推理する。そこから導かれる自分のカノジョは収束するのか。思考はまずその一点に収束する。

ゲームを把握するにはすこし時間がかかる(インスト終わってはい全力、とはいかない)のだけれど、思考の方法、フレーミングだけ把握しきればそこには対人ゲームの奥底がひろがるばかりだ。そこから見える、僕のカノジョは誰なのか。

これだけでも十分に面白かったのだけれど、秋のゲームマーケット拡張カード「妹」が追加された。妹、である。間違いではない。タイトルは「量子カノジョ」だ。その中に妹がいるのだ。

なんという神のゲーム! 前述の物語性が一気に(間違った一方向に)深く深く広がったのだ! 妹の勝利条件は「年下」のみ。ほかの年下キャラがいれば処理できず、万が一幼馴染とぶつかった場合には、敗北だけではなく、幼馴染が勝利してしまう可能性すら存在する。にっくきあの幼馴染がおにいちゃんの彼女に!(まちがい)

すばらしい! ぜひ妹に収束させたい! 発売から一か月たつのですが未プレイなのが口惜しい。一度でいい、妹に収束させたい。そう願ってやまないのです。

アナログゲームの醍醐味である、対人プレイでの心理戦の奥深さ。それに足される日本のサブカルチャー(きれいに言い過ぎ)。このゲームから得られるプレイ経験、物語性、アトモスフィアはまちがいなくライトノベルのそれだ。かつて、MtGをプレイすることは物語を語ることに等しい、と言われた。このゲームの中にもまちがいなく、物語が眠っている。

ずいぶんと人を選ぶけど。

「ゼロから始める魔法の書」が好きだ。

承前で「このラノ」の話題から。堂堂の60位であるところの「ゼロから始める魔法の書」について。

2015年もっとも続きを楽しみしたシリーズだった。大好きだ。ほとんど評価されていないのが不可解極まりない。「このラノ」で読者が求める新作としてファンタジーがその筆頭だというのに、なぜ現行のこれほど良質なファンタジーを読もうとしないのか。ホビット庄がでてこないからか。

たしかに受賞一作目から二作目まで間があいた。おまけに上下巻だった。読むのが億劫になるのは致し方ない。たしかにこの2巻は長いわりにシリーズ上の意味はなかった。1巻で大きく世界が変えられたあとだというのに、平凡な目的通りの旅があるだけだ。世界がひらくような謎解きも、情報も増えはしなかった。敵っぽいのがすこしだけ姿を見せただけで「あー、邪魔だけどゼロの敵じゃねーなー。ザコじゃん」と思わないでもなかった。いや思った。

がしかし、4巻である。

急に物語が始まる。生易しい勇者物語ではない。主人公たちが敵に対して「絶対殺す」と誓うのだ。

このファンタジーはちゃんと人が死ぬ。どうしようもなく、人が死ぬ。弱いものは一山いくらで死んでいく。「魔弾の王」「アルデラミン」でもちゃんと人が死ぬ。そこはファンタジーではない。戦闘と戦いと、それを潜り抜けていく主人公たちの強さが屹立している。ライトノベルでのファンタジー、から安易に想像する、異様なまでの都合のよさはここにはない。「傭兵ピエール」のように簡単に登場人物が死ぬのだ。

最新刊でも「あー、こりゃ死ぬな」と好感しかないキャラクターが登場するとその先にあるうらぎりを知っているためか身構えてしまう。どうしてもおもいきり好きになれない。なぜなら死ぬから。そういうから死んでいくからだ。しかし、だからこそ、ピンチを切り抜けたとき、主人公が助けに来た時に、ご都合主義だなんて思わない。本当によかったといったん安堵できる。しかし、当然だがそれは次の困難、死の恐怖の始まりとなる。

民衆は身を守る。だから平気で人を売る。裏切る。長いものに巻かれる。おもねる。ライトノベルというとそういう闇を否定した、居心地の良い、小学校の道徳の時間のような模範さが通奏低音として存在しているのであるが「ゼロから始める魔法の書」にはそんなものはない。繰り返しになるがここに広がるのは簡単に人が死ぬファンタジー世界だ。

異世界転生がはやって久しい。しかし、どこか都合がいい。ゲーム世界のなかだったりする。ちゃんと人が死ぬシーンを書くのは相当のストレスなのかもしれない。安易に死ぬのも単に「ダークファンタジー」と免罪符が貼られてしまう。「ファンタジー」は求められていても「ダークファンタジー」は求められてないからだ。

この最新刊に至っては、斬首のシーンに挿絵があるのだ。主人公たちの見せ場でもない。戦いの帰結として斬首されるのだけれど、そこに挿絵があるのだ。

この物語にはそこに挿絵が必要なのだ。あまたの凡百のライトノベルから一線を引くために、自分自身を名乗るために、絶対にここに挿絵が必要だったのだ。

4巻、5巻と進むごとに着実にライトノベルの軸から外れていくのだけれど、まだまだライトノベルの範疇にみごとに収まっている。その離れる旅路に呼吸も忘れ、読み終わると緊張から解放され、ほう、と一息つける。この一瞬にこの本の価値があるのだ。

俺TUEEE、最強ヒロイン、かわいい女の子、感情でつっぱしるヒーローとライトノベルのパーツを実装しながらも、その物語舞台はどこかライトノベルらしくない。なにか影がある。世界の息遣いがある。主人公たちの目的も常に繰り返される。「殺す」となんども作中で確認される。どれだけその違和感のある目的を読者が共有できるのか、同意できるのか。それを許す雰囲気を作り出すことに成功している。

そしてなによりこれを許す電撃文庫の幅の広さ。もともと面白ければなんでもありの叢書ではあるが、では面白いとはなんなのか。明確にその答えがここにある。面白いとは先がわからないこと、それでも期待ができること、そして没頭できることだ。

これほど面白いのだからみんな読めよ。