アレスタの新作が出る話

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往年のシューティングゲーム「アレスタ」シリーズ最新作が発表されましたのよ。というより、やっとこエムツーオリジナルシューティングが発売されるのがうれしいですのよ。めちゃくちゃ期待してます。主にスーパーイージーモードに。なお、エムツー公式サイトに「アレスタブランチ」のページはない模様。どないやねん。

 

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「骨塵」の駒都えーじさんがキャラデザ。事実上の「イリヤ」の続編(ではない)。

とえらそうなことをいいながら、私は「武者アレスタ」しか遊んでないですし、なんどとなく投げては挿し、投げては挿しを繰り返してあきらめました。メガドライブにはジョイスティックがなかったからな! と言い訳しておきます。

で、考えてみるに、何をもってすれば「アレスタ」やねん、と。

第一に思いつくのは「クソ長い道中」でしょうか。その道中の風景がこまかくこまかく動いていると「アレスタ」やなー、と思います。たぶん「武者アレスタ」の芸風ですが。「魔法大作戦」をみたとき「アレスタやんけ!」と思ったものです。背景で殺しに来るのは当時の縦シューでは、もう滅び行く芸風だったと思います。

第二に最後の自機がやられたときの攻撃ばら撒きパターンでしょうかね。「鋳薔薇」でも見られるアレです。何回みたことか。一瞬芸です。

でもって。

いまどき、新作情報を公開してわくわくすることがありますかね。せっかくの新作ゲームなんですから、いっそ祭りに。

内容の予想としては、マークIII、MSX、MSX2、MSX2+、ファミコン(アレスタ出てない)、ゲームギアメガドラスーファミなどなど、いろんなハードの世界線を行き来していくのではないかと。セカイ系SFテイストあるな!

 

今月も「銛ガール」は面白かったねというはなし

毎月電撃大王でうきうき読んでいるのが「銛ガール」。だ。である。

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内容について紹介すると、同じく電撃系の電撃マオウで連載されている「罠ガール」と近しい系譜である。

テーマは魚突き。これはアウトドアレジャーなので「ゆるキャン△」にも近い。あちらは山でこれは海が舞台。バイクもあるし、キャンプもあるし、料理もある。いろいろ満載だ。

しかし、扱っているのは魚突き、露骨に命のやり取りである。そしてアウトドアとは、そのとおり、自然に身を置くために必ず軽かろうと重かろうと命がけである。その意味合いでは「ゴールデンカムイ」の雰囲気だ。ゆるゴールデンカムイ。殺して食べる。ヒンナヒンナ。

意地汚く頭のいい魚との知力戦としては「VS魚紳さん」の醍醐味もある。漁の手触り、魚との命のやり取りは釣りよりもより直接的だ。銛で刺して殺すため絵面としては完全に「ヴィンランド・サガ」である。ゆるヴィンランド・サガ。なんだそれ。確実に殺す。

登場人物たちは、獲物を調理して「いただきます」と食べた後は、骨を海に返す。最後の最後まで礼儀正しいアウトドアだ。

主人公は夏子。小さくおとなしい女の子。んが、週末は銛を片手に海に潜る。狩人である。この落差がおもしろい。

演出を抑えて海を、自然を描いているのは、敬意からだろうか。それとも海の中は音がせず静かだからだろうか。今月号はふたりの銛ガールが漁獲量で勝負する回だったのだけれど、最終的に夏子はそれに対してひとつの答えを出すのだけれど、まぁ、これがかっこいい。あこがれるくらいにかっこいい。調理の手順でばりばりウロコを取ったり、食事では目玉をたべたりと嘘がないところも面白くかっこいい。「よつばと!」で岩魚を塩焼きにする回で殺すことに結構もめたのだけれど、そこらへんはすでにとおりすぎてて、主人公はしっかり〆る。仕留めたらすぐに内臓を取り除いて〆るのだ。

遊びで殺していいんだろうか。

今回の印象的なセリフだった。

なんつーか、ちゃんとしてるまんがだと思う。自然に対して最後の一点で嘘がない。この辺の嘘の話は単行本の特別編を読むと判る。演出と嘘との違いといえばいいのかなあ。

なんて。オススメです。気楽に読めばよい。

お前は今まで買った「スペハリ」の本数を覚えているのか?

スイッチ版「スペハリ」を買った。当然お前も買っただろう。

3DSの復刻アーカイブス版で相当「スペースハリアー」としてはきわまっていたのだけれど、今回はモニターが大きくなり、操縦桿モードが追加されてもはや、動かないだけで「スペハリ」だった。あのとき驚きと憧れと、手元に200円がない悲しみから眺め続けた「スペハリ」の気持ちをしっかり再生できる「スペハリ」だ。

マークIII版の四角のスペハリ。T先輩とY君がめちゃくちゃ上手かった。ハヤオーというのがオリジナルラスボスとは、前述の復刻アーカイブスのインタビューで初めて知った。オリジナル要素というか、当時を思い出すと、移植できないところはオリジナル要素に入れ替えられていたら、追加要素だとは思わなかったのだろう。ウルトラスーパービックマキシムグレートストロングトットみたいなものだ。

そのあと「とびだせ大作戦」「アタックアニマル学園」とかいろいろスペハリっぽいゲームを遊んだ。うひょー! と思うのは、X68000の「スペハリ」まで待たないとだめだった。時代は「アフターバーナーII」に移ろってしまっていたが。

あと、ふたつ。

PS2の「スペハリ」もすばらしかった。メガドラのIIは難しすぎた。それを踏まえて後年3DSで「スペハリ」が発売された。詳しくないのだけれど、デジタル出力の「スペハリ」は3DSが初でななかろうか。

もうひとつ。

「スペハリ」のメインテーマがとにかくカッコイイのだけれど、記憶補正もあいまって、どれを聞いてもいまひとつ音が鈍く聞こえた。初めて聞いたときの子供の頃から耳が退化し続けているから当然なんだろうと思っていた。

のだけれど。時はすぎ。

X68000のSCM+満開版まーきゅりーのスペハリメインテーマは初めて聞いたときにミミアカが全部飛んでいったかのような衝撃だった。あのとき聞いたスペハリ、記憶のなかのスペハリみたいにきれいで、なめらかで、かっこよかった。ドラムがかっこいい。メロディがかっこいい。ちょっとかなしい音色になるところがかっこいい(専門用語があるんだろう)。とにかくずっと聞いていられた。当然ながら3DS版のメインテーマもおなじくらいかっこいい。

最新機種に移植されるゲーム四天王「グラディウス」「スペハリ」「ゼビウス」「ファンタジーゾーン」のうち、2つまでが新規にやってきた。「ゼビウス」はもう無理か。

というわけで、お前はスペースハリアーを買わなければならない。

雨が来る前に 「きみと、波にのれたら」をみた

映画「きみと、波にのれたら」を見た。

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先にあらすじ紹介だけ見ておいた。最近多いね、若い子しんじゃう話。なんだろう。死なないとなにか許されないんだろうか。たぶん、みんな、自分は死なないと思ってるんじゃないだろうか。

とか。

おもったものの、夏にちゃんと夏の映画を上映するのだから見るべきなのである。そして、ああ、よかったな、と見終えると胸が一杯になった。

主人公の青年が死んじゃうと知っているだけに、一気に観客も恋させないといけない。出会いは劇的、まるで用意されたように運命的に。そのあとは一気呵成に2人だけの世界が続けられていく。海に向かう車道には2人の車だけしか走っていない。そんな世界がみたいんだ、とつくづく思う。

そしてクライマックス。ついに、きみと波にのるシーンがたまらなく、かっこつけではなく瞬きすら惜しかった。

画圧だ。

ロングでこう! クローズアップ! こう! そして、一瞬足りとて形を、映す姿をとどめない水と波はこう! ありえない上から下への、波にふたりとひとりがのってゆくからこう! たとえばその腕と足。実写、CGでは見られない。「紅の豚」のピッコロ社から運河経由の発進シーンを思い出させる、アニメーションの価値があった。

だから思う。「わかってんじゃんアンタ!」ってさ!!

その後のラストシーン。ひとりになったひな子がやっと、もう会えないと理解し、受け入れ、ひざまずき、嗚咽する。突然の悲しみは心も体もおいつかない。じっくり時間をかけて体に染み渡り、やっとやっともう会えないと理解が追いつくから、ここまで時間がかかってしまった。物語にその時間差がでてきて、記憶と体験と感情をスクリーンから伸びてきた両手に、私は体の頭の底から捕まれ、揺さぶり続けられた。そりゃ泣くっちゅうの。自分のために。

全編通して印象的だったのは、水の描写。ゆれ、照り返し、海、波、泡、しずく、雨、みずたまり、池、川、放水、漏れる水、流れる水、あふれる水、残った水、コップの水、カップのコーヒー。あとキャンプ。ミルからコーヒーを入れるシーン。OD缶のコンロでお湯を沸かして、ゆっくり入れる。お湯と水の違い。次に泡。とにかく、水に演技をさせること。

押し寄せる湘南の海の波を見たくて死にかかっている人がいるかもしれない。大半の人が細部を見ていなくても、私は私を救わなくちゃいけないんだ。動きの一つ一つに感動する人に、私はここにいるって、言わなくちゃいけないんだ。

そのセリフを思い出しました。

見れば好きになれる。そんな映画でした。夏が来るなぁ。

正しいが正しいわけでもない。UNOのルールは特に。

この春くらいに「UNO」の正しいルールが急にもりあがった。

 

 

 公式ルールについてはXBOXでUNOが配信されたときに「ハウスルール」としてスタッキングが別途もうけられていたため知ってはいた(スタッキングはドロー系カードを積み重ねられるルール)。

攻撃を防御する用意があるのと、ないのとでは、プレイ中のストレスがずいぶん異なるように思える。スタッキングありだとドローしたのは防御できなかったプレイヤーの責任、言ってしまえばドローをプレイしたプレイヤーの責任ではなく、自己責任である。公式ルールを採用するなら、攻撃した側もされるわけで、同等だとは感じるのだけれど、やはり防御の可能性があるのとないのとでは、ずいぶん違うのは当然である。

いちど公式ルールでプレイすると実感できるのだけれど、そのルールだと短時間で終わる。あまり意思決定の場面がなく、単にディールされた手札をプレイするだけだからだ。短時間で決着がつき、繰り返し遊べば勝ったり負けたりするので、結果としてゲームの体験は平等に近くなるだろう。

公式ルールは繰り返し遊ぶのが目的なのだ。1回遊んでおしまい、を意図していない。短時間で終わること、意思決定がすくないこと、なるたけ運で勝敗がきまること。ゲームデザインは無駄がない。そのあといろいろ追加ルールのあるUNOが発売されて入るけれど、いまひとつ歓迎されている雰囲気はない。

UNOってそういうゲームだと思うんだ。

面目躍如の第7回。「空電の姫君」かんそうぶん

「空電の姫君」がこんげつもちゃんと読めました。再開から半年、バーズ休刊から1年ですか。なにもかもがあっというまでした。「空電の姫君」つぎにくるからな!

と、今回は日常回。冬目景さんにときどきあるコメディ回。「ももんち」のような心地よいエピソードでした。「ももんち」最高なので読んで。

最中は11月くらい? なのかな。2ヵ月後ライブが夏休み後だったのと、その後もう一度復活ライブで、マオちゃん冬服だったし。ふっとく生きていこう。

くさった木造家屋と、なぞの草むら、井戸、そして草刈正雄の「汚れた英雄」。ぜったい日野君はヨキコさんに話しかけたくて映画の話ふったでしょ。などなど。テンポいい言葉のやり取り、謎の家屋をあけていくように読み進めるページと、楽しい楽しい回でした。

 

前回予告の「アルタゴに追い風」はどこった。

 

 でもって、イブニング編集長がツイッターを始めたのがアツいのをご報告して今回のかんそうぶんといたします。

「さらざんまい」を見終えた

「さらざんまい」を見終えた。なるほどさっぱりわからん。歌とか、踊りとか、アニメーションとか、物語以外がわかりやすくて楽しかった。放送期間中にカナブーンが事件を起こして、外野の事情で放送が危うくなる「ウテナ」以来の伝統芸を感じてしまった。ウテナは呪いだ。

んでもって。

私の腐った性根は「つながり」って言葉に対して、身構えてしまうのだ。攻撃だと判定している節がある。もしくは「反論できないさせないゆるさない善意」、つまり無敵キャラに見えるのだ。

伊集院光深夜の馬鹿力」の2019/06/10放送分の南海キャンディーズ山里さん結婚についての話のなかに出てきた気持ちが「それ!」だった。

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「黒いものは手を変え品を変え湧き出てくる」

「こういう性格だと心の底から黒いものは湧き出てくる」

友達もいない、仕事もない、金もない、なにもない、夜寝ているとふつふつと心のそこから沸いてくる「アレ」である。

ヤマシタトモコ「違国日記」#3で描かれる「ぽつーーーーーーーーーーん」の風景だ。まんがでありながら、小説家の主人公のひとりがすべて言葉に変換していく。その中のひとつが「ぽつーーーーーーーーーーん」。読もう。そして「次に来るまんが大賞」に投票しよう。

あまりにまぶしくて、希望があって、白くて、救いがあって、ちゃんと望んだどうりに終わっていった「さらざんまい」は外道照身霊波光線で、私を焼き尽くしていった。

goldhead.hatenablog.com

今、抱いている感想としては、上掲ブログと違いない。

「なるほどさっぱりわからん」