今そこにある仕事 映画「SHIROBAKO」かんそうぶん
映画「SHIROBAKO」を見た。
公開すぐにみたのだけれど、感想がまとまらなかった。なので、ネット上のいろんな感想を読みふけった。
その中のひとつが、たぶん、いちばん、私のちりぢりの感想をまとめてくれた。
簡単な感想だと、はたして私はSHIROBAKOの続編、それも劇場版を見たかったのだろうか、との自問自答だった。答がない。問だけだ。答えたくなかった。
SHIROBAKOをその作品たらしめるためには「現実的」でなければならない。だから冒頭から期待は裏切られて、納得できる。SHIROBAKOはこういうアニメだった。
それでも毎日は、アニメは続いていく。武蔵野アニメーションがたった一度のミスで、すべてが崩壊したとしても、毎週アニメは放送されるし、納品日はやってくる。仕事は続く。
それはとても、とても現実だ。アニメを作るのだって仕事だ。特別な仕事じゃない。
仕事の中で宮森たちは生きていく。酒を飲んで、生きていく。私がアニメを見て生きていくように。ありがとうございます。なんとかアニメを見られるので、毎日毎日生きていけます。
結論としては、幸せなのは本田さんだけだったのではないでしょうか。いや、りーちゃんもか。4年の間に1作シリーズ構成、12話脚本を手掛けたんですから。立派な商売敵です(映画で一番好きなシーン)。
幸せな仕事。
私が子供のころ。
まわりにアニメ関連の仕事の大人はいなかった。ほかにも、ゲーム、マンガ、音楽、映画、他映像関連の仕事の大人はいなかった。アホの子だった私は、それらが大人が作ってるなんて想像もしなかった。毎週、毎週、毎日、毎日見ているアニメのオープニング、エンディングから何も読み取っていない。ゲームの、映画のスタッフロールから何も感じていなかったのだ。
マンガ「大東京トイボックス」第1巻で、主人公百田モモが、不登校をかこっていた時代にクリアしたゲーム「ソードクロニクル」をやり直すシーンがある。最終面のセーブデータから再開し、なまっていた記憶を呼び起こして、なんとかクリアする。その中で、初回プレイ時の自分を思い出す。その時にエンディングを見て「これは誰かが作ったんや!」と気づくシーンが、私にはとてつもなく印象的で、大東京トイボックスはこの第1巻でその魅力のすべてだといいたいくらいだ。
今ならわかる。どれもこれも仕事だし、特別じゃない。仕事だ。しんどい仕事だ。私の仕事とおなじだ。
なんか、こう、アニメの仕事って見下されてるような気がする。ダ・ヴィンチ2020/4月号のSHIROBAKO特集の堀川社長インタビューでも現場、仕事として語られていたのが印象的だった。
また、別ニュースソースから。
「ついに」はひどくない?
これまで世話になった母艦がデスラー戦法(まちがい)で沈んでいこうとも、仲間に助けられ、それを切り離し、脱出できたみんなは、これから先どうなるかもわからないが、生きていく。生きるしかないのだ。母艦に残った者たちも、そこで生きていくしかないのだ。
あと、木下監督の終盤のあのセリフはアニメーターにゆうたらあかんと思うんやけど、どないですか。
ではまた。