24年越しに「ファイナルファンタジータクティクス」を終わらせた話。

PS版の「ファイナルファンタジータクティクス」を終わらせた。発売が1997年。実に24年ごしであった。30年戦争まであとすこしでした。

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先日友人と話した際に「ファイナルファンタジータクティクス」が話題になり、それを話している姿が実に楽しそうだったので、一念発起して再開した次第。次第。

当時、発売を待ちに待って始めたはずなのに、2章のあたまで投げたのだけは頭のどこかにいつもじっと残っていて。そのまま20年以上しこりのように終わらせていない気持ちが残り続けていて、きっかけまちではあったと自覚している。

ついにそのきっかけがやってきたのだ。

取説、チラシ、体験版ときれいにそろって残っていたソフトを起動。同封のカードはラムザでした。これ、ランダムなんかな?

まず、PS2+D端子+液晶テレビと当時とはずいぶん環境が変わってしまったため、とにかくグラフィックがきれいで驚いた。なお、D端子は別にデジタル出力ではない。デジタル化できない悔しさを情緒で解決する力技には脱帽。あきれるけれど。ローポリのステージにドット絵のテクスチャとキャラクター。とりわけキャラクターのアニメーションの多さに息をのむ。ロムカートリッジじゃできない芸当。しかもそのドット絵キャラクターがカメラ位置変更にまで対応。すげぇ。画圧が圧巻。絵に添える一幕のためだけの効果音、劇伴も用意されていてとにかく豪華。それでもCDROM1枚。この芸風はのちの「ベイグラントストーリー」にも続きますねぇ。本流たるファイナルファンタジーは複数枚になってしまいましたが。

で、プレイ再開して、メモカをあさったところ当時のセーブデータが残っていた。驚くわ。20時間程度すすめたそのデータから再開。そしたら投げた理由を鮮やかに思い出したんですよ。シナリオ中で仲間になったチョコボがばんばん卵を産むので、メンバー欄がチョコボばっかりになってしまって、これまた情緒から除名をしたくないので、そのジレンマの結果投げたんだった。今回は再開後すぐに全チョコボを除隊。おつかれさまでした。なぜこれは当時はできなかったんだろう。つまりは私が成長したのだ。

当時はストーリーにあんまり興味がなかったのだけれど、あー、これ薔薇戦争とか、オーストリア継承戦争とかを想像させるなー。とりわけ作中の獅子戦争まえに50年戦争があるから、百年戦争からの薔薇戦争を想像させる。最終章タイトルは(当時の)ガイナックスアニメのそれかのようにクイーンの曲名ですし。愛にすべてを。

楽しいったらありゃしないので、さくさく、ばんばん物語を進めていく。それぞれの正義(というか、都合)がぶつかり合って、弱い者、不運な者は、最後に血を噴き出して退場していく。ストーリーの第一印象はとにかく命が安い! 騎士の時代ってそうだよなー。戦争と略奪と傭兵の時代だもんなー。なにかと教会がしゃしゃりでてくるあたりは神聖ローマ帝国を彷彿とさせる。

3章以降のストーリーがもう好みど真ん中で、夢中になってレベルあげをしたため、たぶんやりとりがあったであろうボスを1ターンキルとかしちゃったのが残念。ストーリーはとにかく主人公ラムザが敵を結構ためらいなく殺していくのが、その世界の常識っぽくて最高。「殺したくなかった」とか言い訳もしない。すごい。そりゃそうだ。

伝え残っているのは人の戦争の物語だったのだけれど、その裏ですすんでいた戦争を引き起こしていた存在とは。ええええ、そっちいっちゃうの? と驚きでした。最後は見事にファイナルファンタジーに合流。発売後四半世紀が過ぎようとしていますが、ネタバレには配慮。

そしてエンディング。ちょっとした驚きから、背景が気になって仕方がないスタッフクレジット、からの、Cパート。4章のタイトルの意味が重くのしかかる。

いやー、おもしろかったです。

現在進行形で。

よそ道要素、隠しダンジョンをいまもってプレイし続けています。簡単な感想としては、FF3、5の直系子孫のようなキャラクタービルドが面白い実に実に私好みのゲームでした。ファイナルファンタジーだから戦闘参加は4人だもんなー。なぜ同時期発売だった「フロントミッション2」はこうできなかったんだ。

で、以下、今だからこその情報集。

togetter.com

book.asahi.com

dengekionline.com

↑これの後編は当時の雑誌でしか読めないんですかね。

ではまた。