今週の一気読み 「やがて君になる」
「やがて君になる」全8巻、アンソロジー2巻を一気読みしました。アニメ全話はそれに先立って一気見済。おもうに、アニメは2期前提だったではなかったか。とはいえ、アニメ終了と同時に舞台化が発表されているので、どうなんだろう。
連載で読んで、単行本が出たら読んで、と細切れの読書体験だったので一気読みは初でした。思い返すと、当時はタイトルから訴えかけられる情緒が弱かったのですが、一気読みすると、タイトルの含意、作中劇のタイトルなどなど象徴的な言葉が、厚い情緒をもって感じられました。
「やがて君になる」の意味を連載中にわかった時は、そういうサイコホラーかと思ったものでしたが、優しい許しの言葉でした。作中にこの言葉が出てこないもの印象的です。最終話で侑からちょっと指先が触れたかのような言葉が出てきたかな。
読み返しても、6巻収録第33話「助走」が好きですね、やっぱり。本編としても重要な一編なのですが、助走の名の通り短いのがとりわけ印象的です。
また、毎回の扉絵は作中ではまず描かれないアクションシーンが多いのも面白いです。本来侑は派手に体を動かす人格だと思うんですよねー。最終回近くのバッティングセンターに行くシーンとか、ボウリングのシーンとか、正確な体の動かし方が彼女らしいのです。
このマンガの好きなところとして、男子の制服が学ランなのがあります。女子の制服は紺の落ち着いた生地に大きめのベルト、それに上着と一年を通して使えるデザインなのですが、男子は学ラン。いいですねー、学ラン。姿勢がいいです。登場人物がみな姿勢が奇麗なのですが。とりわけ学ランですと、着方で個性がわかりやすいですし、姿勢がよく見える。自分の現実世界を延長していったとして、男女ともに制服があり得ると思えるデザイン。ここ重要です。
夕方、川、飛び石、陸橋、雨、森、喫茶店、分かれ道。遠くない世界だと思える風景は重要です。アニメだと、生徒会室の質感がマンガ以上でおどろきますね。もうすぐ森に沈みそうに見えるくらいなんですが、説得力と言うか、絵の腕力が強い。
制服の反転として、登場人物たちの平服、私服姿もその衣服のデザインが目を引きます。当然なのですが、さほど情報量のない服装で、それだけに絵を読もうとするときに、邪魔にならない読みやすさが好みです。
一気読みして、頭の中に物語をまとめてインストールする心地よさを今回も楽しめました。つまりは、なにかと忙しい、興奮している頭の中をすべて入れ替える心地よさ。
没頭とは快楽です。その中でも自分がいなくなる物語の快楽が私の好みなのです。
2月の「百木田家の古書暮らし」!
なんと、2月も毎号「百木田家の古書暮らし」が読めました。このままだと1巻でちゃう。
5話、6話は不思議な不思議なゆったり感と静かな静かな謎の浸潤が混ざり合った不思議な展開。「幻影博覧会」を思い出すなぁ。本筋とは別の物語が毎回毎回進んでゆくのだけれど、やっぱりこっそりと本筋が進んでゆくあの感覚。
「空電ノイズの姫君」(こっちのタイトルが好き)では、本筋よりもそれをくるんだ音楽青春ストーリーが面白すぎて、本筋忘れて楽しんでしまったんですが「百木田家」は、毎回のトビラアオリが「のんびり群像デイブック」とあるので「信じるぞ、信じるからな!」と念押ししてから読んでますが、2月はそのとおりでした。毎回、毎回が前半古書店バナシののんびり、後半が本筋がこっそり顔を出す展開。
3人姉妹のそれぞれが、一見のんびりデイブックなんだけど、そこで安心していると次には何が起こるかわからないぞ。いや、今回は信じていいのか。はてさて。
3月は単行本。すごい! はやい! 「ももんち」なみの速度!
今週の一気読み 「はねバド!」
「はねバド!」全16巻を一気読みした。
アニメは全話見終わり、マンガは終盤を連載で読んだ。今回がマンガを通して読むのは初めて。
とにかく、勢いがすごいマンガだった。
一気読みでわかる異常なまでのドライブ感と疾走感。何に乗って、どこに向かってるのかさっぱりわからないたぐいの疾走感を全身で楽しめる。なによりゲーム中のスピード感は、さすがバトミントンな感じ。
謎が多い始まりから、それらを全部置き去りにしてゆき、スピードに乗ってゆく。思い返すと、ユニフォームが変わったあたりから助走完了、アクセルべた踏みじゃないかな。あわせてシャトルのスピードもばんばん上がってゆく。
ゲーム中のスマッシュを打つポーズがかっこいいんですよ。空中で伸び上がったり、足を広げたり。見開きだったり、かっこいいポーズにカッコイイ表情。動線も、書き文字も、シャトルの軌道もかっこいい。
なんといっても、主人公の羽咲綾乃の性格が最高に悪い。それを最初は隠しているのに、次第に顔に出てきたり、そのうちゲーム中に暴言にでてきたり。ナチュラルに煽りがひどい。対人戦はここまで性格を歪めてしまうのか……!
最後のゲーム終了から、後日談が十分に読めるのが好きです。後日談大好き。物語は終わったけれども、毎日は続くのだ、と思えるから。伝説が終わり、歴史が始まる。
マンガの始まりはコーチの挫折からの復活劇かと思わせておいて、そうじゃなくて、綾乃が人間になる物語でした。なお、性格はあのままの模様。そこがいい。人はそんな簡単に変わらないです。そこそこの社会性を持った人間になれました。周りがみんないい人、人格者。とくに理子ちゃん先輩。あの面倒くさいのふたりも面倒見て、なおかつプレイヤーとしても成長していく健気さ。天才じゃないなら、こうありたいと思わせる人でした。天才だからってなにやっても許されるわけじゃねーぞ。
なお、一気読みした副産物として、あきらかにファミリーテニスがうまくなりました。「ボディ!」とか「アウト!」とか口に出る始末。
封印解除 「古オタクの恋わずらい」かんそうぶんというかなにか
「古オタクの恋わずらい」の1巻がでて1か月か。何回読み返したか。「封印解除」の読み方がわかる人に届いてほしい。
あらすじは以下。
いやね、もう、ほんと読んでて胸が詰まる。ああいう時代があったから、今はオタクって別の名称みたいになったと思うんですよね。烙印じゃないというか。
そんないいもんじゃないぞ。これは知見じゃなくて業みたいなもんだ。
それはともかく、単行本を読み返してつくづく思ったのだけれど、別に新しいものを歓迎するのがオタクの義務じゃないってことについてだ。でもって、自分の通った道の他人の話は面白い。この辺りはひとそれぞれ。ほとんどエロゲー、ギャルゲーに触れてこなかったので、そっちの界隈の当時の話は新規あつかい。ましてや当然製作者側でもなかったし。そういうのは東京の話としてしか楽しめないのも残念だとも同時に思う。
同じ時代を生きても、こうも違うのだ。
この漫画の主人公は女の子なので、エロゲー、ギャルゲーはぜんぜん出てこないし。最接近で主人公の友達がゲーメスト読んでるくらいか。
速攻連想する(意味が違う)。
なんかもう、恋愛できないから燃焼できたエネルギーがあったんです。
でも、この主人公はちゃんと恋愛しようともがき始める。あああああああ、ふて腐らなければこの世界線もあったんだよなぁ、当然。で、その細い糸を諦めてない主人公の孤軍奮闘であったり、仲間との出会い、欲しい言葉がもらえたりとか、読んでて、ああああああ、と悶絶してしまう。
そして物語は1995年と2021年が交差して進んでゆく。2021年側物語をみると、主人公はちゃんと人生やってんなー、と思ってしまう。幸多かれと願ってしまう。
応援したくなるような、頑張ってる人を見ると涙腺がめっきり弱くなってしまいました。たぶん、全然そんな場面じゃないのに泣いてしまうんよね。
というわけで、ここまで読んだみんなは「フィットボクシング2」をやろう。
それでも! 「地球外少年少女」かんそうぶん
「地球外少年少女」を見終えた。想像よりはるかにガチンと固いSFで楽しかった。
舞台はちょっと未来の世界の宇宙。ちょっととはどれくらいか。120年くらい未来かな。それまでSNS、youtube、配信文化はあるのか。
ちょっと先の未来だと、いろんな物語でそれぞれの世界があるのだけれど、遠い未来の物語だと世界が似てくるな、というのが視聴直後の感想。あんまりにも遠未来だとまたそれぞれ枝分けれしてゆくのだけれど。
無重力と有重力が入れ替わるので、その瞬間の細かい動きが見どころの一つでしょうか。「ガンダムユニコーン」の1話で、バナージが女の子を救った後、コロニーに着陸するシーンが好きなんですよね。そりゃそうじゃん、と絵で見てわかる心地よさ。このアニメにも、動きで説明されるとその理由を想像して、理解して、そりゃそうじゃん、と発見する面白さがいろいろありました。
人工知能、AIとか、フレーム問題とか、用語から想像される現在進行形のSFにも想像が届くのも面白い体験でした。AIは無意味な行動をしないのでしょうか。もうずいぶんと囲碁でAlphaGo対人戦が開催されてませんな。AlphaGo同士で対局を続けてると記事を読んだ記憶もありますが。 私の思うAIのすごいところは、飽きもせず、疲れもしないところです。直感は実装されたんだっけか。単に経路の説明できない推論の結果だとかなんとか。直感は人だけのものではないとなると、この作中にあるような、シンギュラリティポイント、引き返し不能点をあっさり過ぎてゆき、人とコミュニケーションが取れなくなるでしょうな。知力差がありすぎて言葉が通じない。
「電脳コイル」はデバイスが社会を戻れないほど変えてしまった後の子供たちだけの大事件。それでも、事件は子供たちの後からやってきた。「地球外少年少女」は、生まれたときから事件が始まっている。それは子供たちの問題ではないよなー。
そういう意味で、市長たち管理者の維持運用のシーンがとりわけ印象的でした。子供を守る大人の姿が印象的なのは、現代性ではそれが珍しくなった悲しさからかもしれませぬ。
この勢いで「プロジェクトぴあの」がアニメ化されませんかね。もしくは「オービタル・クラウド」の映画化とか。叶う未来があるならば、「オービタル・クラウド」の地球を眺めるシーンは動画で見たいものです。
ファムファタール、イクノディクタス
2月7日はイクノディクタスの命日である。
昨年までならまったく興味をひかなかったであろう話題であるが、1年とは長く、そして早く過ぎるものだ。そして私は、競馬について話すのは苦手である。何かと泣いてしまうからだ。
それでもイクノディクタスについてなら少し話せるだろう。
私は「ダービースタリオン全国版」で競馬を学んだ。レースに至るまでの用意周到な準備と計画、それらが放つレース中の一瞬のきらめき。競走馬だけでなく、牧場、調教師、騎手ほかにも大勢の人間がそこにいる。ダビスタから得た知識は多い。
時に93年5月。当時私は大阪にいた。
競馬ブームであった。
オグリキャップの華々しい、作られたかのような引退で競馬ブームが終わるかと思ったのだが、ついでトウカイテイオーが登場、メジロマックイーン、ライスシャワーもまだまだ絶頂期だった。しかし、思い返せば93年はそれらが揃って駆けた唯一の1年でもあった。
当時の私は、名前がかっこいい、その一点でイクノディクタスを推していた(今風に言うなら)。出走するならイクノディクタスを軸に買っていた。まぁ、当たらなかった。
そして迎えた93年5月16日。第43回安田記念。大阪も東京も晴れ。馬場は良。
朝から大阪球場の場外馬券売り場でGI相応に馬券を買うと、友人の待つ草野球場へと向かった。その日は草野球1ゲームを約束していたのだ。
レース中継は、その野球後に大勢で王将で遅い昼飯を食べている最中に、店内のラジオで聞いた。結果はヤマニンゼファーが連覇。いつも通りにレース中にはまったくイクノディクタスの名前は出てこなかったのだが、終盤2着争いがもつれ込んだ中に、彼女の名前が出てきた。記憶なのだが、ラジオ中継では2着イクノディクタスと結構はっきり伝えたような気がする。
なぜなら、そのあとの記憶がないからだ。
結果としては、ソフマップでX68000 XVI HDの中古、メモリボード、MIDIボード、MIDI音源、ミキサ、Cコンパイラを買いそろえられた。ACEから一気にXVIに乗り換え、メモリは限界まで搭載した。
ついでにコンソレット18(残念ながら青)を買い、基板を買った。
それくらい彼女は決定的に私の人生に影響を与えた。
イクノディクタスは続く宝塚記念でもメジロマックイーンに続いて2着。これも取った。ありがたい。追ってよかったとつくづく思った(現金)。
しかし、そこまでだった。思い返すと、最後は今では考えられない連闘だった。その中イクノディクタスは故障なく最後まで走り抜けた。その後は繁殖牝馬となるが、牝馬のため産駒が多くはない。現在のようなサンデーサイレンス、ディープインパクト産駒が多数を占めるような事態は決して起こらない。
今でもレースを見るときは、馬も人も無事を祈る。あんな場面はもう見たくない。
そして私は競馬を通じて、寺山修司を知り、天井桟敷、ATGを知りえた。そして「少女革命ウテナ」と出会い、長く長くつづくそれは「少女☆歌劇 レヴュー・スタァライト」へといたる道のりである。
「百木田家の古書暮らし」第4話なのです。
「百木田家の古書暮らし」第4話。えっ。連載です。
今回は古書店業について、旧車GIRLS、引き続き長女のコイバナの3本です。
やっと、タイトル煽りの「緩速的群像ブティック」に乗ってきたような回でした。なによりシトロエン2CVピックアップ。たぶんボディカラーは薄緑。そこまで見えました。
なんとなく、居間で3人そろったりしてるシーンが、あこがれを刺激するんですよね、このマンガ。「マホロミ」でも同じ感傷を抱いた者です。本当に理由もないし、なんとなく。東京の話だなー、とも思うんですが。神保町なんで当然なんですが。感傷なので、特にこれ以上言葉にしません、できません。
そう思うと、「緩速的群像ブティック」との作評はとてもとても似合っています。
おまけに次回も掲載されて、その上センターカラーです。ひゃっほう。