アニメ「スーパーカブ」と映画「汚れた英雄」と。

アニメ「スーパーカブ」が佳境を迎えた。

supercub-anime.com

 

山梨を舞台にした、女子高生の原付だったり、自動二輪だったり、自転車だったりを中心とした、ゆるふわ日常系……とは全然違うな! これは小熊のサバイバルだ。毎日がサヴァイブ。ちっともゆるふわじゃない。一瞬でも気を抜けば、奈落に堕ちるような緊張感のある毎日。それを静かな音楽と、山梨の豊かな色彩とが盛り上げてゆく、んだと思う。小熊はそんなの求めてなさそうだけれど。

 

原作小説の地の文の雰囲気を構築しようとしたかのような、音楽と色使いが印象的なアニメです。その乾いた地の文と、バイクから大薮春彦汚れた英雄」を連想します。調べてみると「汚れた英雄」はどうにも絶版の模様。電子書籍もなし。うーん。たしかに、今だと、いろいろと「当時の」みたいな注釈が必要な気もする。

そのうえで映画「汚れた英雄」は原作をなぞるのではなく、国内バイクレースの部分のみ、かつ、そのレースシーンが多いので、時代性を超えたように思います。今見ても、その美学の連続は十分に刺激的です。草刈正雄がイケメンすぎる。

後追いのウィキペディアの知識なのですが、原作を映画化するのは無理なので、こういう映画になった、との記載がありました。その物語をたらしめる、エンジンの部分はどこなのかがわかってないと、あの映画にはならないでしょう。

 

時代性というか、天地人が揃ったというか、そういう物語ってあると思います。

スーパーカブ」もゆるふわアニメにもできたと思えるのですが、そうじゃなくて、原作の地の文の雰囲気こそが、この物語のエンジンだと読み取って、それを動画に変換されたような気がします。色使いの演出であったり、音楽の演出であったり、小熊の表情であったりとか。あと、アニメWebサイトのギャラリーページがとりわけ、この原作にあってると痛感します。どうなんでしょ、プロップって記載して紹介しているサイトって初めて見るんですが。

 

アニメはこれから佳境で椎熊です。ご期待ください。エンディングテーマが、がっちがちにかみ合ってて、最終回の映像が楽しみで仕方なし。

あと、原付で通学していると、やたらパトカーに止められましたね。免許証を確認されるだけなんですが、無免許前提で応対されたのを思い出しました。周りを見ろ、とつくづく思ったものです。

 

あと、なにより原作小説は、ここだけでも読んでもらえれば。

kakuyomu.jp

「劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト」からあなたへ。

「劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト」を見た。浴びてきた。

 

cinema.revuestarlight.com

 

舞台、アニメテレビシリーズ、漫画と続いてきて、ひとまず総集編「ロンドロンドロンド」ときて、満を持しての「劇場版」だ。サブタイトルはない。「劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト」。このタイトルで十分。わかります。

 

あたかも宝塚音楽学校新入生募集のようなメインビジュアル。

あらすじなら17文字で書ける。のだけれど、それを2時間かけて、レヴューとして見せる。次から次へと突拍子もない舞台装置の連続。気を引き続けるためだけの舞台装置に意味がある。大仰な舞台装置に価値がある。

なにしろ、レヴュータイトルは「ワイ(ル)ド スクリーーーーン バロック」なのだ。

そこで繰り広げられる9人の少女たちの歌劇。ここまでくれば、たとえシリーズを追っていなくても、この劇場版だけでも楽しめる。

 

「劇場版」とついている意味がわかった時、そこから泣きながら見てました。これほど「劇場版」の看板に意味がある映画があっただろうか。もし許されるなら、ずっとそういうレイアウトでもよかったくらいの劇場版。劇場で見ることに意味がある。これまでにも「劇場版」にこういう期待をしていたアニメ作品はあったんですが、「レヴュースタァライト」でその気持ちが叶いました。

 

光と音と、映像と! これぞまさにレヴュー! 私はこれが見たかった! わかります! 

 

と私の中のキリンが終始叫んでいました。

始まって少しして、何を期待してこの映画を見に来たのかと考えていました。期待するべき物語はすでに語りつくされた後で、それでも、劇場版が作られた意味ってなんじゃろう、そして、私は何を期待して見に来たのだろう、とかいろいろ考えていましたが、キリンが出てきてしまえば、それが合図。あとは最後まで見続けるだけでした。そして、思うんですよね。私はこれが見たかった!

そして、最後のレヴューの果ての、青空が印象的でした。その青空が伝えるあらすじが、ほんと、簡単すぎて呆けてしまう。それぞれの物語はあるにしても。終わってみれば、くらいくらい劇場で見るための物語だったと思い出して、単純に、もう1回見なくては、と思えました。見るよ。

 

最後に。大場ななが「女一匹が、命をかけて諸君に訴えているんだぞ!」と言い出さないかとハラハラしました。いいそうじゃん。

 

 

「終わりから始まるクロニクル」オンラインの夜

ストーリーテリングゲーム「終わりから始まるクロニクル」をオンラインでプレイした。

www.unjyou.com

作者の紹介が最も正確であろう。ゲームとはなんぞやの議論は別の部屋でやってください。

オンラインで、用意された2つのシナリオ「ループ」「ミステリ」を遊びました。4人プレイでしたので、12枚のシナリオをひとり3枚担当となりました。ありがたいことに、ひとりゲームマスターを担当してもらえたので、シナリオカードを書くのに集中できました。

 

以下、ざっと今回のゲーム内容のリプレイ。紡がれた物語の内容にはいっさい言及しないTHE美学。

 

1ラウンド(?)はなにも情報がない。つまりは自由に書いていい。のだけれど、たぶん、その自由さは未来の自分に鎖になる。と思ったんだけど、自分以外のプレイヤーにぶっ刺さるように書けばいいんだ、と気づいたので、以後それを基本指針に。とはいえ、固有名詞を入れるのは全体攻撃になるので、自分にもダメージ来るのではなぁ、と回避法を考えながら書いてました。今回はオンラインでもあるため、1枚100文字前後となりました。前後です。単純に考えて、慣れてないと100文字/5分、しかも物語を含ませてはなかなかに難題ですな。

 

2ラウンドは1ラウンドのカードと矛盾しないように書かないとならないため、手元のカードから、その直前が出されたカードを選んで、前を矛盾しないように。と思ったけれども、うーん、矛盾してもいいよなぁ、別に。口で逃げればよかろうもん。つぶしておきたい固有名詞はここで確実につぶす。最後の自由のために。

 

最後の3ラウンドは、あんまり考えるでもなし。こうだよなぁ、とさくっと書き上げてました。

 

ってな感じで、毎回全員がカードを公開した後に一読し、なにがあったんだよ、誰だよお前は、とか言いながら読むのが楽しかったです。結果1プレイが1時間くらい。さくっと終わらんなー。無理か。都合2回プレイしたのですが、どっちもそこそこまとまった話になったように思えました。まる。

前掲の作者のページでも言及されてますが「光より遅く」は私も好きなゲームです。ゲームか? ゲームか?(以下無限ループ) とはいえ、そのうえで、あれって、内容はそれぞれ、参加者だけの秘密で、参加者間でも秘密なのが面白くて美しいと思うんですよねー。みせもんじゃねーぞ、って感じです。見せたい気持ちはわかるんですが、見えないからこそ、特別楽しいんですよね、これ。

はい、解釈違いでした。お帰りはあちらです。ではまた。

「黄昏ニ眠ル街」をめぐる

「黄昏ニ眠ル街」をそうとう巡った。お値段以上なのでオススメです。

 

nocras.wixsite.com

 

霧に包まれ人が消えた街を捜索して、この事件の謎を解くアクションアドベンチャー。主人公のユクモを操作して、街を、そしてダンジョン(?)を捜索してゆく。

歩いて、走って、ジャンプして街をくまなく探すのが主たるゲームなんですが、単に街を走りまわる、パルクールのような楽しみ方が最高に楽しいです。

街はほんのり中華風、もしくは、あなたが捨てていった地元の風景を想像させます。人がいない理由は判らないが、人にいてほしくない理由はあるなぁ、という感じ。地元のやつらになんか会いたくないもんな(個人の感想です)。

街には高い建物があって、それを相当まで登っていけるんですが、これが、もうほんとに高所で気持ち悪くて、操作にぞくぞくしました。街いちばんの細い塔の屋根の端に立って、夜の街を見下ろせる。そこからカメラの位置を動かして真下を見られる。うっわ、たっか! で、ユクモちゃんはちょっとアレなので、そこからジャンプで飛び降りれてしまう。でもって難なく見事着地を決めて、また走り出せる。関節のニュータイプ。なれると、あそこまで大ジャンプ! なんて楽しみ方ができる。一度クリアしても、ただただ街を走り回るためだけにプレイしていました。「ゼルダの伝説 風のタクト」以来の高所ゲームでした。

私が、なにかとレトロゲームばっかりプレイするので、がっちがちの空間把握、空気感把握ゲームはひさしぶりで、まだまだ遊べそうです。

 

このゲームの楽しさの主たる根源って、街のデザインなんですよねー、はい。絵の中を動き回れる楽しさがある。つまりは「大好きな絵の中に閉じ込められた」感覚です。あとラストの唐突なゲームは「ニーア:オートマタ」を連想させました。ラストは突然こうなるべきなんですよ。初プレイ時に声出して笑いました。

 

www.nicovideo.jp

 

本棚は夜蘇える

また読まない本を買った。

ツイッターでちょっと目にした感想がおもしろそうだったから、注文して、書店で受け取った。ちょっと目にして面白そうで700円くらい。文庫本価格の推移を誰か整理してください。コバルト文庫はめちゃくちゃ安かったと思うんですよね。

ツイッターの、タイムラインに現れ出て、それだけを読んで買える本が、1000円くらい。ラーメンに1000円はためらうのに、本に1000円は抵抗がない。だから月末のクレカ利用明細を見て驚くのだ。また今月も読みもしない本をこんなに買ったのか、と。

今回も、その本は手に取り、これでいつでも読めるようになった、と安心して、未読の書棚に差した。私は魔女のキキ! こっちは未読の書棚! 読了の書棚より小さいですが。今はまだ。未読用の書棚……。なんだそれは……。と、眺めるたびに思います。辜の形。ああ、お前、もう20年くらいそこにいるな……。棚名主か……。

電子書籍ならすぐに買えて、書棚は不要で、いつか読む未来にフォントサイズを変更できる(これが電子書籍の最大の有利点だと思うんですが。現在の新潮文庫のフォントがでかすぎてビビる)のだから、絶対正解なんですが。

でも、電子書籍ってもしかすると、読みたい将来には読めなくなってるかもしれない。可能性はある。書籍ならとりあえずいつか読める。ライトノベルのフォントサイズが小さいのに難儀しそうだけれど。そうそう、ライトノベルのフォントサイズが小さいうちは、若人向けだと思うんですよね。これ、作家に寄るんですかね。ハセガワケイスケの作はフォントサイズが大きいような印象です(個人の)。

こんな駄文を書く時間を、1冊、1ページ、1行でも読む時間に充てれば読み進められるんですけどね。あと、新作を読むより、お気に入りの1冊を読み返すほうが好きです。

というわけで、読書に戻ります。

空電の姫君おわり

「空電の姫君」が完結した。

kc.kodansha.co.jp

2016年から足掛け5年でした。いろいろありましたが、読み終えられて感無量。

とにかくタイトルの「空電ノイズの姫君」がクッソかっけぇので、そこでまず食らってしまって、毎回毎回が楽しみで仕方がなかった。「イエスタデイ」完結後の最初の新連載だったのも楽しみの理由。もうまんがを書かないまで想像した。

ヒロインふたりが、これまでの冬目景の作風2系統からそれぞれ出てきたように見えた。黒髪ロングには血の匂いがする。かわいらしい小さな女の子は表情がとんだりはねたりする。それぞれが連想させる過去作を持っている。

「空電の姫君」はあんまりにもライブシーンが面白すぎて、本筋を忘れてしまった。これは、女の子ふたりの友情のようなモノの物語だ。圧倒的ライブシーンをバックにして、その友情のようなモノが変化してゆくのだ。あまりに作中のバンドの活躍がまぶしすぎて、それが見えなくなってしまう。見えなくなったんだよなぁ~。夜祈子さん加入後のライブシーンが毎回、毎回、クッソかっけぇし、圧力があって最高だったんだよなぁ~!

単行本収録の最終話。雑誌掲載20Pが32Pに。最後のライブに見開き追加、そして最後に夜祈子さんの物語。みごとにカットアウトしました。この終わり方。まだまだ全然何もかもすべてがこれから始まったんだとしか見えない終わり方! が! これまでにないラストで、震えるしかなかった。サイコーしか言葉がない。

そして、また次のマンガがはじまるのです。

そして「空電の姫君」はおわる

「空電の姫君」が終わった。

 

 ふたりの友情の物語でした。ひとりなら嫌なものは見ないようにできても、ふたりだと、もうひとりがそれを見てしまうんだなぁ。悲しいすれ違いから何もかもが最悪になってしまってからじゃないと言えない気持ちってあるんだよ、ってつくづく感じました。単行本では終わり方が変わる? ようですが果たして。最後のシーンでの、すれ違いゆく人からのたった一言で、あんなに笑顔になれる彼女が素敵でした。

2016年のコミックバーズ連載開始から、バーズ休刊、半年後にイブニングで連載再開と5年ですか。毎回毎回楽しみでした。楽しかったなぁ……。バーズだと季節に一回くらい表紙だったりカラーページがあったのに、イブニングはそうはいかなかったなぁ、とかいろいろ思い出した最終回でした。