雨が来る前に 「きみと、波にのれたら」をみた

映画「きみと、波にのれたら」を見た。

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先にあらすじ紹介だけ見ておいた。最近多いね、若い子しんじゃう話。なんだろう。死なないとなにか許されないんだろうか。たぶん、みんな、自分は死なないと思ってるんじゃないだろうか。

とか。

おもったものの、夏にちゃんと夏の映画を上映するのだから見るべきなのである。そして、ああ、よかったな、と見終えると胸が一杯になった。

主人公の青年が死んじゃうと知っているだけに、一気に観客も恋させないといけない。出会いは劇的、まるで用意されたように運命的に。そのあとは一気呵成に2人だけの世界が続けられていく。海に向かう車道には2人の車だけしか走っていない。そんな世界がみたいんだ、とつくづく思う。

そしてクライマックス。ついに、きみと波にのるシーンがたまらなく、かっこつけではなく瞬きすら惜しかった。

画圧だ。

ロングでこう! クローズアップ! こう! そして、一瞬足りとて形を、映す姿をとどめない水と波はこう! ありえない上から下への、波にふたりとひとりがのってゆくからこう! たとえばその腕と足。実写、CGでは見られない。「紅の豚」のピッコロ社から運河経由の発進シーンを思い出させる、アニメーションの価値があった。

だから思う。「わかってんじゃんアンタ!」ってさ!!

その後のラストシーン。ひとりになったひな子がやっと、もう会えないと理解し、受け入れ、ひざまずき、嗚咽する。突然の悲しみは心も体もおいつかない。じっくり時間をかけて体に染み渡り、やっとやっともう会えないと理解が追いつくから、ここまで時間がかかってしまった。物語にその時間差がでてきて、記憶と体験と感情をスクリーンから伸びてきた両手に、私は体の頭の底から捕まれ、揺さぶり続けられた。そりゃ泣くっちゅうの。自分のために。

全編通して印象的だったのは、水の描写。ゆれ、照り返し、海、波、泡、しずく、雨、みずたまり、池、川、放水、漏れる水、流れる水、あふれる水、残った水、コップの水、カップのコーヒー。あとキャンプ。ミルからコーヒーを入れるシーン。OD缶のコンロでお湯を沸かして、ゆっくり入れる。お湯と水の違い。次に泡。とにかく、水に演技をさせること。

押し寄せる湘南の海の波を見たくて死にかかっている人がいるかもしれない。大半の人が細部を見ていなくても、私は私を救わなくちゃいけないんだ。動きの一つ一つに感動する人に、私はここにいるって、言わなくちゃいけないんだ。

そのセリフを思い出しました。

見れば好きになれる。そんな映画でした。夏が来るなぁ。