「とある魔術の電脳戦機」を買ったけれど、プレイまでが遠い話。

とある魔術の電脳戦機」がついに発売された。うちの「バトルガレッガ」と「弾銃フィーバロン」しか使ってないPS4Proでやっとその機能を使うゲームを買ったような気がする。

バーチャロンは特殊なファン層を持つゲームだ。シリーズ全体は当然通してプレイしているのだが、シリーズ作それぞれに固有のファンがいる。つまり私は「OMG」のファンだ。

したがって、以下にOMGの思い出をつづってしばらく姿を消そうと思うんだ。たぶん。

そのときわたしは大阪にいた。初めて「バーチャロン」を見たのは京橋のダイエーだったように思う。当時は毎日京橋のゲームセンター「グランシャトー」に通っていたので、そのついでに寄ったダイエーで見たのだろう。グランシャトーバーチャロンがあった記憶がないし。そういえば当時のグランシャトーカプコンロケテとして使われていて、結局発売されなかったゲームもけっこう遊んだ。これまた記憶と印象では、あのころの大阪のゲーセンといえば、グランシャトーに加えて、江坂のネオジオランド、日本橋フェラーリ、難波のアビオンとアムザあたりが有名だった。よしもとアミュージアムはもすこしあとかな?(記憶)

閑話休題(ボブネミミッミ)。

ダイエーにあったのは専用筐体版だった。とはいえ当時エアロシティ版はみなかったような気もする。

対戦ゲームだったけれど、筐体が横に並べておかれていたために知らない人と対戦することはなく、友人と遊び続けていた。そいつはいつもフェイ・イェン、わたしはテムジンだった。当時の私にはテムジンの名前の印象がよくなかった。テムジンといえば「餓狼伝説」だったからだ。かっこわるいんだよ、餓狼伝説のテムジン。「テムジン」は「龍虎の拳」でした。あやまり。なお、論旨は誤りではないため、異論は認める。

最初の1ヶ月くらいは画面になにが表示されているのかさっぱりわからなかった。ツインスティックはサイコーだった。これぞ想像していたけれど、具体的に思い描けなかったロボットゲームだと感激した。相変わらず意味もなくダッシュしては相手を見失い、ダッシュLウェポンをはずして硬直してたりした。ジャンプキャンセルでエイミング(当然この言葉は当時知らなかった)して、前ビを打ち込む。友人もおなじくらいヘタだったので、勝ったり負けたりだった。たしか1プレイ100円だったはず。環状線で行った先の天満のゲーセンで「バーチャファイター」が200円だったのを高いと思ったので、たぶんこの記憶はあってるのが濃厚だと信じてる。

そのうちに目が慣れてきて、ウェポン残量が理解でき、ロックオンが見えるようになり、相手との距離表示が読み取れ、ダッシュ旋回ができるようになっていった。とはいえ、ふたりで技術を探しながらだったので、先頭集団からは遠くおかれていた。ふたりで遊び疲れると、グランシャトーで友達を集めて「ギャラクシアン3 シアター6版」を遊んだ。今思い返せば贅沢な環境である。ギャラクシアン3が遊べたんだよ。すげーよ。日本に何件あったんだ、そんなゲーセン。

で、話を戻して、前述のなぜ先頭集団がいるとわかったのか。

当時難波のゲーセン「アビオン」が先頭集団の巣窟だったからだ(この辺はPS2版バーチャロンOMG取説の学生ドルカスさんの一文が詳しい。というか、私も実情はそれでしった)。

たしか、アビオンはサイドモニターがなかったような気がする。なんどかいった記憶があるけれど、プレイはしなかった。後ろからスパってるだけで、次元が違うとわかったからだ。CWキャンセルはここで教えてもらった。いろんなテクがあった。移動し続け、位置取りをし、必中のタイミングを探すゲームだと気づかされた。それまでの友人との対戦は、ロボットに乗ってる感じだったのだけれど、ここでは「バーチャロン」が遊ばれていたように感じた。

とにかくめっちゃキャンセルができる。できる機体とできない機体があるにせよ、機体特性は熟知しなければまずスタート地点に至らない。パソコン通信で情報交換があったようだけれど、私には見つけられなかったのが悔やまれる(シーラカンスカンパニー、東京がらくた工房ではバーチャロンのトピは目にした記憶がない)。

その後も遊び続けた。しかし、諸事情で大阪を離れてしまい、そこでゲーセンでのバーチャロン経験はおわった。サターン版もスティック込みで買ったけれど、なんとなく残念だった。その影響で「オラタン」はぜんぜん遊ばなかった。「4」はそこそこ遊んだけれど、2対2がなじめなかった(現在の「ガンダムVSガンダム」をみるにほんとにセガは10年早いな)。「マーズ」は……。なんとなく。これまでになく遊びやすかったけど。

で、時間は流れて。2007年。PS2でOMGが発売された。発売日に買って、コントローラーじゃ遊びにくい、とわかっていたことを確認した。しかたないのでサターン版ツインスティックをPS2用にした。

サイコーだった。今でも遊んでいる。そしてなにより取説がすごかった。いまだに読み返す。熱量が高すぎる。そこにあるのは思い出話じゃなかった。胸が熱くなった。

その次が2015年秋の電撃祭での「とある」とのコラボレーション小説発表(たぶん)。亙Pも壇上にたったこのイベントときすでにVita版で表示した707テムジンの静止画が公開された。期待は募る。このときイベント観覧に当選したので現場にいた。

次が2016年の秋2017春の電撃祭(あやまり。2016年は文庫版発売だから当然だ。アホか、私は。余談ながら「とあるバーチャロン」は「このラノ2017」で47位)。ゲーム化発表(たぶん)。つーか、亙Pがツイッターで「これから会場に向かいます」とつぶやいてて、イベント側では「シークレットゲスト」扱いだったのにしっちゃかめっちゃかでサイコーだった。このときもイベント観覧に当選したので現場にいた。

で。今年。というか、この間。電撃のゲームイベントに当選したので、喜び勇んで参加した。そのとき。イベント会場から試遊会場へ移動しているときだった。偶然、なぜか、ひとりで歩かれてる亙Pを目にしてしまった。ほんとにびっくりしてしまった。不躾にもその場で握手をお願いしてしまった。快く握手してくださり感謝しかなかった。いやもうほんと、なんというか、あの時、京橋のダイエーから続いていた何かがここに到着したような気分だった。当時の自分に教えてやりたかった。ずっとバーチャロンを遊び続けているし、偶然にも亙Pに会えるんだよ、と。

PS4は限定版を買ったので、まずは全部よまんとなー。プレイするまでがとおすぎるんじゃないですかね、これ。奥成Pと堀井社長のPS2版の開発秘話がこれまたすごい熱量で「とある」を始める前にまたPS2版を遊んでしまった(MODEL2のDSPの話を読んで、SEGAAGESスペハリのサブCPUの話を思い出した)。これではいつまでたってもプレイできそうにない。

Vita版はダウンロードで。原作小説からするとVitaが本筋なんじゃないですかね。

外で遊べるバーチャロン

いつの日かバーチャロンを外に連れ出してやってほしいんだ。

ゲーセンで遊べるのが唯一の正解だとは思わない。でも、なんとなく、自宅の外で遊びたい、とは思うんだ。

たぶん、私は、バーチャロンに、何かを、熱いなにかを、託しているのだ。