格闘ゲームは飽きられ続けている

昨年末にツイッター格闘ゲーム、とりわけ連続技の是非についてもりあがっていた。当然ながら元ツイートに対して、同意と批判が集まり、いろいろと渦を巻き、立ち上がっていった。私はただ、それを見ていた。

元ツイートも、同意も、批判も、みんな同じ格ゲープレイヤーなのに、どうしてこうなるのかなとつくづく感じたのだ。

今をさること20数年前1997年、今はなき「ゲーム批評」の11月号特集が「格闘ゲーム、飽きねぇか」であった。

97年当時、いまから見ればブームの渦中ですら、すでに格ゲーは飽きられていたのだ。そしてなにより特集での格ゲーの問題点は「初心者お断り」だった。すでに連続技、むつかしいコマンド入力、ゲーセンでの対戦瞬殺などなどが議論されていた。

何のことはない。格ゲーはここ20年ちかくにわたってずっと飽きられ続けているのだ。同じ問題を解決せずに、解決できずにここまで飽きられて続けているのである。

それでも進歩はあって、いまならネットワーク経由で自分と同じくらいの腕のプレイヤーと遊べなくはない。が、しかし、そのツイッター議論中で「同じくらいの友達がいなくなったから格ゲーやめた」とつぶやく人もけっこう目にした。やはり隣の友達と声を出し合いながら、勝ったり負けたりしたいのだ。当時のまんが「げんしけん」のキャラクター紹介に格ゲー持ちキャラ欄があった。誰もが格ゲーを遊んでいたし、それなりに使える、勝ったり負けたりできるキャラクターを持っていたのだ。

 

togetter.com

 

格ゲーの強い/弱いの分水嶺は防御の巧拙だ。CPU相手だとこの防御の練習がなかなかしづらい。心理的にも。CPU相手に黙々と防御の練習ができるメンタルはなかなかもてないだろう。

そして、格ゲーは攻めるのは簡単で、攻め続けるのは難しく、防御は難しいが、防御し続けるのは簡単である。この非対称性が、ますます防御の練習を難しくする。

相手がこうきたら、こう防御、そのあとこう、防御されたらこう防御する、とキャラクターにあわせてプレイ文法を組み立てるのだが、これを当然のように求めるとなると、初心者断り感は出てしまう。先に述べたように、攻撃のほうが簡単だからだ。あと、ボタンを押すのと、レバーを後ろに入れるのとでは、操作感、直感的な操作の手触りが異なる。操作をガードボタン、1レバー3ボタンとした「バーチャファイター」は偉大だ。防御が格ゲーの基本、キャラクターが動作させるのには「ボタンを押す」が妥当だと判っていたのだろう。これは贔屓の引き倒しだけれども「月華」でも強力なガードである「弾き」はボタンアクションだ。

戻って、連続技、攻撃し続ける行為の問題点は、その途中で防御ができない点である。その問題点への回答のひとつとして「鉄拳」の10連コンボは途中でガードのタイミングがある。知っていないとできないけどね。要は練習である。結局話は元に戻る。

結局のところ、格ゲーのスキルは課金じゃ解決できず、万人が同じだけしか持ち得ない資産である時間をぶっこみ続けなければ上達しないし、最初の勝利までが遠く、勝ったり負けたりはそれより遠い。そこまで続けられるメンタルを持ちえるのはなかなか難しい。

これもまた時代が解決したのだけれど、今ならアーカイブスで古い格闘ゲームが安価で買える。情報量の少ない、古い格闘ゲームをいったん遊びこんでほしい。ひとつやりきれば、同じ文法がだいたいの格闘ゲームで再利用可能だ。ウメハラ氏の書籍「勝ち続ける意志力」で「新しいゲームがでると全員がまたゼロからスタートとなるのが面白い」とあったけれど、それは基本文法が身についたうえで、そのゲームならではの勝利の文法を探す、身につけるのが全員同じ位置からのスタート、の意味であって、格ゲーの基本そのものがゼロからスタートの意味ではない。

格ゲーは楽しい。だから20年以上飽きられ続けている。

だから、なんでもいいので、ひとつのゲームで、1人のキャラクターでいいので、完全に自由に動かせるのを目指して欲しい。私は20年越しで「月華2」の高嶺響の昇華が安定してきた。

格ゲーの連想で、しんざきさんのツイートがおもしろく、印象的なのでリンクする。

 自分と同じくらいのプレイヤーに出会えたらかように幸運である。あと、どうでもいいことだけれど、カニスポって、カニスポの写真からはその名前の由来がわかんないよね。

また、最近は動画配信も充実しているので、見るだけでも楽しい。十分だ。そのむかし「ファミ通」で鈴木みそさんの「あんたっちゃぶる」で、スポット21だったかの「バーチャファイター」レポートまんがで、大技を決めてもりあがるサブモニターの前で「格闘技の楽しみ方をしてしまった」と口にするシーンがあったが、今から思えば、eスポーツの始まりのようなものである。

格ゲーの本を読むのもの同じくらい楽しい。ウメハラ氏の本はどれもこれも面白い。まんがなら「ハイスコアガール」「レバガチャアーカイブ」「七海の623」「いつかみのれば」、小説なら「インサート・コイン(ズ) 」「俺より強いあの娘を殴りに行く」「ゲーマーズ!」、毛色の違うところでは「バーチャファイターリラックス」も面白い。

で、気が向いたらまずは古い格ゲーを遊んで欲しい。情報量が少ないほうが遊びやすいですから。

私は「あすか120%」の新作を応援しています。そんなものはない。

私的2018年 コンテンツ10選

tonizaburou.hatenablog.com

真似です。

というわけで、早速始めましょう。長いよ。

1.ゆるキャン△

人生を変えた出会いの1。2018年はこのアニメとまんがを繰り返し、繰り返し見ていた。アニメよりもまんがが好みです。フレームが自由なぶん、まんがのテンポが私の好みのようです。

アニメはクリスマスキャンプで終わるのだけれど、原作まんがのその次の正月の話、第5巻が、こればかり繰り返して読むくらい大好きです。面白い体験はいつもいつもすぐそばにあるはずなのに、気づけない、見えても、みていないのだとつくづく気づかされました。それと同時に、きづいた人たちはそれを楽しんでいるのだと思うと、心底嫉妬します。嫉妬。

すくなくとも、楽しいこと、私が楽しいと感じる体験は外にあるのです。まずは、人が話すことを熱心に、最後までちゃんと聞こうと教えられました。努力します。

2.あさがおと加瀬さん

人生を変えた出会いの2。2017年に声なしのミュージックビデオが公開されたのだけれど、今年はついに映画化に。とにかく佐倉綾音さんが演じる加瀬さんが、想像以上に完璧に加瀬さん。山田からみた加瀬さんにしかもう感じられないくらいに、加瀬さん。見た人を全員山田にしてしまうくらい、加瀬さん。私は劇場で見ながら山田でした。視界に光の粒が降り注ぎ、何かに当たって細かく砕けて、光を放ち、目の前がどんどんきらきらしてくるのが判るのです。山田の世界はこんなにまぶしい。まぶしいのだ……!

単純に分野わけすると、百合モノなんだけど、いっそのこと、加瀬さん、と分類したいくらい、加瀬さんを楽しむ映像美だった。

われらの時代、僕らの時代、君と僕、ボク、と変遷してきた物語世界から、ついに私が消え去ってしまった。この世界に私はいない。山田のみている加瀬さんを体験するのみなのだ。

あとカバーアルバムも最高でした。「からかい上手の高木さん」でもカバーされていて、つくづく「小さな恋のうた」は女の子にうたって欲しいのだとみんな思ってると判ってうれしかったです。だよなー。

3.空電ノイズの姫君

冬目景さんの始めての現代劇じゃないだろうか。舞台は今。テーマは音楽。通奏低音はいつもの、長い緑髪の血を含む過去とそれにつながる今だったり。いつものですな。いつもの。

が、しかし。今年の夏に連載掲載誌のバーズが休刊した。ほとんどがデンシバーズに連載移行したのだけれど「空電ノイズの姫君」だけが第1部完となってしまった。あまりに残念で、そのあとは単行本2冊と雑誌を読み返してのこった2018年をすごしてしまった。

その先の今年2月に冬目景原画展があり、そこで「空電ノイズ」#16のカラー扉が展示されていた。主人公ふたりの気取っていない、澄ましていない、決めていない、なんのことはない、普段をかいた1枚なのだけれど、これだけが普段。うたっている夜祈子さんと、エアギターで練習する磨音のふたりにだけに聞こえるセッションの風景は、物語のこれからを期待させる、普段の風景。平日に原画展に行ったのだけれど、私以外に誰も居ないのをいいことに、この1枚だけを遠くから、近くからとじっと、ずっと見ていました。単行本だと2色で収録されているので残念なんですよね。うーん。

物語がここから読みたい物語だったのになー、とつくづく思い返していたら、来年早々からイブニングで連載再開、幻冬舎から3巻発売とうれしい知らせが。待ってました! と期待をこめて。

4.シオリエクスペリエンス

 ついに、やっと読めた第10巻。ほんとに、やっとですよ、やっと。連載でも読んでましたけどね。掲載号を途中まで読んで「そういや今月号カラーだったな!」と思い出して、その瞬間に頭の真ん中、いや、全身を音で打ち抜かれましたね。なんという心地よさ。

ここに至るまで、本当に長かった。でも一瞬だった。10巻まででひとつのアルバムとして完成されている。その最後に名刺代わりのキラーチューンが待っている。前述の、その瞬間が、本当に、もう、胸が一杯になる。みたいものが、期待していたものが見られる喜びに震えます。

されど物語はまだまだ続く。毎月、毎月、めちゃくちゃ楽しみです。

5.SSSS.GRIDMAN

つい最近なのでここに入れるにはためらいがあったのだけれど、そんなのどうでもいいやと思える。最終話のすべて、とりわけ最後の最後が期待通り、見たいものが見られた喜びと、当然ながら期待以上であること、その救いに涙が止まらなかった。今見ても、思い出しても、ちょっと泣ける。

泣かすためにすべてが配置されたのではなくて、当然主軸のグリッドマンとしても物語がありながらも、それと同時に小さな物語を救っていく丁寧さ。それこそが、ウルトラマンは持ち得なかった、グリッドマンだけの力なのだ。

とはいえ、現在の視点から当時のグリッドマンを評価するのは難しいなぁ。かっこいいオトナが出てこない物語というのは、90年代以降じゃないかなぁ。いまじゃ、オトナはかっこ悪いものとしてかかれてばかりになりましたな。それもどうかと思うけど。

そんなものはともかくとして、今年の最後を飾る最高の物語でした。私は物語を食べて生きています。

6.宇宙よりも遠い場所

今年の始めに「ゆるキャン△」「からかい上手の高木さん」「ポプテピピック」そして「宇宙よりも遠い場所」が放送されていたのだから、しょっぱなにかぶりすぎじゃないかと。

なにをやるかは自分で決めろ、と教えられた物語でした。前述とは違って、こちらはかっこいいオトナがちゃんと出てくる物語なのも印象的でした。思い返せば「SHIROBAKO」もみゃーもり一同じゃなくて、おっさんたちに揺さぶられる場面が多かったですね。かっこいいオトナ。楽じゃないオトナたち。自分はその1人だろうか。

南極に行く物語じゃなくて、行って、帰ってくる物語なんですよね。そこがまたぐっとくるんですよ。最終話の報瀬が仏壇に氷水を供える場面がとりわけ泣けました。同じところに行って、帰ってきたよ、と報告するその気持ちを思うと、やっぱり胸が一杯になります。#12で「そこについたら何もない」と言った報瀬が、そこに行って、しっかり帰ってきたその気持ちを。

まんが版は、一瞬「そっちか!」と思ったのですが、当然ながらそっちじゃなかったのだけれど、アニメが終わったそのあと、なにを描くのか毎回楽しみです。

7.ROIDーロイドー

百合姫連載のまんがです。今月号でみごと完結。みごとに。

百合要素はまったくないといえるのだけれど、ここに描かれている物語は、なにもかも、すべて、端から端まで好きなものしか敷き詰められていない。技術系女の子が大好きだって言う個人的要素を差し引いても、ここにあるのはいつかかならずやってくる物語だと思うのです。だからSF。みらいのおとぎばなし

単純に考えても、自分より優秀なロボット、プログラム、AIは今でも存在しているわけで、じゃあ、お前はなにができるんだ、と誰かに、自分からも、聞かれ続けているように思います。毎日。

今はそれが見えないから心が平和なだけですよ。もし、自分より優秀な、もし、自分の理想が、もし、理想の自分が作られたら、人はなにを思うのでしょうか。見えないほうがいいものがあるのですよ。でも、たぶん、無邪気にそれは見えるようになるでしょう。すくなくとも、今、現在においても株式市場、先物取引、為替取引はほとんどロボット取引なわけで、それを経済指標として人間の生活を左右されているのだから、もう、コンピュータに侵略されている、支配されていると思っといたほうが楽でしょう。

という、まんがです。まじおすすめ。

8.CR萌え萌え大戦争ぱちんこば~んFPS

発売は2017年ですが、今年もこいつに課金しまくりでしたね。結果は-3万円くらいかな。課金。金よりも時間が工面できなかった1年でしたが。

この秋口に藤商事から「iTunesに楽曲大量追加!」と発表されて、当然この台の楽曲が販売されるものと期待したのですが、結果はすっとこどっこいでした。アホかー! そのあとなんやらいろいろあったらしく、藤商事ツイッターアカウントが「すまんな。なんとか販売できるようにがんばるわ」と公式に謝罪めいたツイートをしたのが印象的でした。やりすぎだ。素材をまるごとシステムソフトアルファーに発注して、5000台限定での販売契約だったのか。そのあと「萌え戦」としてソシャゲが発表されましたけど、現時点で未稼働です。最近公式サイトが更新されましたな。事前登録2000人。無理ゲーじゃないかと心配です。ここで素材を売って小銭を稼ぎませんかね。

つまりは、楽曲販売、静止画素材販売、できれば大当たりムービー販売など期待しています。「エフるっ!」だけでもいいです。

9.サイゼリヤ

月に一度は食事にいった巨大コンテンツ。間違い探し。

テーブル備え付けの調味料の粉チーズが今年から変わりました。これまではKRAFT粉チーズだったのですが、オリジナル粉チーズに。これがKRAFTとは違ってひとつぶひとつぶが重たくておいしいです。そんなにかけなくていいようになってるというか。

オリーブオイルも代わったのか、今年の味がこれなのか。塩味がきついですね、今のは。濃い味の料理にはよく合うと思います。サラダには無理かなぁ。粉チーズもサラダにはちょいと重いかな。

10.アケアカ 幕末浪漫第二幕 月華の剣士 〜月に咲く華、散りゆく花〜

この夏からずっとこればっかり遊んでますな。第2次高嶺響大ブーム到来。ドリキャス版をいれると第3次かもしれない。月華の剣士ではなく、高嶺響がコンテンツなのかもしれない。あのキャラデザは完璧にして最高でしょう。裏(?)エンディングも最高。当時を思えば「るろ剣」の影響といえばそれまでなんでしょうけど、出が速い居合いキャラ、技名のかっこよさ、潜在奥義の「死を恐れぬ心也」はそのエフェクトとあわせて、作り手側の愛しか見えませんな。視死如帰。カプエス2の髪留め破壊影絵もかっこよすぎるでしょ。愛されキャラです。

PS4版が発売されて、やっとこアケ版月華がHDMIで遊べるようになったのはうれしいですね。あのドット絵がついにデジタルでみられる。

近寄りて斬る也ー>発勝する神気也が20年越しに安定して打てるようになってきました。

 

といったところでしょうか。アニメとまんがばっかりだな。小説は単刊がおおくて、続きが気になる、1年を通して楽しめたのがなかったかな、と。その中ではドラゴンマガジン連載の「ゲーマーズ!外伝」は毎回楽しみでした。

ではまた。

電光超人よ、まわれ!

「SSSS.GRIDMAN」が終わった。なので、そのまま書く。泣いたまま書くのだ。好きだと書くのだ。

子供たちだけの事件の物語が大好きだ。「グリッドマン」「光車よ、まわれ!」「ノーライフキング」「電脳コイル」「アクセル・ワールド」「ペンギン・ハイウェイ」。「チョコレート戦争」「ぼくらの七日間戦争」のような子供対大人の物語ではない。子供たちだけの事件が好きなのだ。子供たちの事件に大人たち気づかない、翻弄される場面が好きなのだ。

たぶん、新しいテクノロジーはいつだって、子供たちの事件の舞台になるのだろう。コンピュータ、ビデオゲームファミコン、パソコン、ネットワーク。ケータイ。スマートフォン。電脳メガネ。ナーヴギア。オーグマー。ニューロ・リンカー。

無邪気に事件は起こる。

そして。

11話の内海のセリフ。「怪獣とグリッドマンの戦いを楽しんでいたのかもしれない」。

SNSやらにぼくらの世界が侵略されていないだろうか。退屈だから、退屈そうにスマートフォンばかりみていないだろうか。草薙素子はいまのインターネットを見ても「ネットは広大だわ……」といえるだろうか。

 そして最終話。

オリジナルの「グリッドマン」を救った。

漫画版「グリッドマン」を救った。

エヴァンゲリオン」を救った。

ダーリン・イン・ザ・フランキス」を救った。

もしかすると「プログレ」「オルタナ」も救ったかもしれない。

そして、たったひとりの女の子を救った。

友達は2人もいてくれれば、それでもう手が一杯だ。

最後。

彼女が起き上がるシーンで涙がとまらなかった。たったそれだけための物語だと判ったからだ。

Take care of yourself.

「ゆるキャン△」のやさしい世界

ゆるキャン△」連載分が伊豆キャンプに向けて進んでいる。おそらくアニメ二期の山場はここだろう。

10月はなでしこ家族回、11月は志摩リン家族回だった。この家族模様を描くところが「ゆるキャン△」のやさしい世界の源泉だ。

物語中にはキャンプの関連する要素以外は扱われていない。恋、進学、友人関係、反抗期などなどの悩みは一切語られない。学校を軸とした、先生、友人との関係はキャンプを通じて親密になる。妹を探して姉が深夜に車を出してくれる。妹のキャンプの付き添いで車中泊をしてくれる。風邪をひけば友人が自宅まで見舞いに来てくれる。家族が顔を出しても恥ずかしがるそぶりも見せない。一人娘が原付免許をとっていきなり100キロを超える小旅行を計画しても、送り出してくれる。行き先にあわせてお使いを頼む態でお小遣いを持たせてくる。祖母、妹とこたつでみかんを食べながら、肉の食べ方を相談できる。年越し詣でを先生、友人と出かけられる。ちょっとキャンプでしくじっても、友人、先生が助けに来てくれる。引越し先の友人と、地元の友人が違和感なくなじんでいく。昔の自分の写真を見せられても、気にしない。親戚宅に友人を気軽に呼んで、泊まってもらえる。ちょっと、地元のとっておきを教えてみたりする。バイト上がりの友人が夜でもそれに付き合ってくれる。バイト先に友人の母親がきたら、ちゃんと話ができる。

キャンプでの献立に悩んでいると父親がアドバイスをくれる。父親が原付をメンテに出してくれて、追加パーツをつけてくれる。祖父はパーツが足りないとバイクを駆って買いに行ってくれる。友人たちはこっそり誕生日を祝う準備を進めてくれる。

居間で家族でテレビを見るシーンはない。タブレットでの調べ物は居間で家族と一緒にすごしながら。しくじった食器はサボテン入れに再利用してくれる。

家族、友人、先生や、いろんな大人たちが自分の話を聞いてくれること。

幸せの源はこれに尽きる。

ゆるキャン△」世界の特異点は、とりわけ家族が扱われているところだ。両親が子供に任せて海外赴任なんて事態は存在しない。

彼女の物語は、家族そろって山梨への引越しから物語が始まる。

祖父からもらったキャンプ用具で彼女の物語は始まっていた。

このやさしい世界、それを反抗期から照れくさいとも感じない少女たちをとりわけまぶしく感じるのだ。しかし朝日はまぶしい。そのシーンもたったヒトコマ、椅子が湿っているのをはたく彼女のしぐさがあるだけで、印象的になる。好き。たしたし。

ゆるさ、とは、この心地よさなのだとつくづく感じる、ここ2回の連載だった。

今年のラミーは2年に一度のでき

冬季限定のお酒のチョコレートがある。ご存知だろうか。

ラミーとバッカスだ。冬季限定とうたってはいるが、9月くらいから販売されている。10月になるとストロベリーが加わり、1月くらいからリンゴのお酒のカルバドスを使ったチョコレートも加わる。今年の公式サイトにはカルバドスはまだない。1月? そんな先のことはわからない。

昨年はバッカスの当たり年だった。今年はラミーのできがよい。ねっとりとしたラム酒の舌触りがチョコレートと分離しておらず、忍び込むように香りと味を差し込んでくる。昨年は砂のようなざらつきを感じさせたラミーであったが、今年のできはすばらしいの一言に尽きる。本来、ラム酒は甘い酒である。それをチョコレートに使おうとすると、どうしても甘み同士が戦ってしまう。昨年はそれを制御できているとは言いがたかったが、私の予想を裏切り、今年のラミーは時期はじめの一口から、その違いをはっきりと身にまとって現れた。

なんという驚きだろうか。期待していなかったわが身を恥じた。ショコラティエ側でも、昨年の不出来を囲ったままだったのだろう、と思わせる味だった。1年がすぎ、帰ってきたラミーは捲土重来を期し、また、ショコラティエの自信を感じさせるオーラすら身にまとっているかのように見えた。よく見れば銀紙だったが。

ラミーのうまさとは、肉厚のチョコレートとそのうちに秘めたラム酒とが、しっかりと支えあう、味の交差、共鳴、協奏がその実である。前述のように昨年はお互いが相手より前に出よう、出ようとして、結果として共倒れとなってしまったのだ。

今年のラミーは昨年の印象を払拭して余りある、華々しい復活劇だ。ただ帰ってきただけではない。そのうちに不出来を自覚した恥を雪ぐ気概を秘めた気高い雰囲気をまとった一品だ。やはり、よく見れば銀紙だったが。

今年のラミーはおいしい。私がオススメする一品だ。

ひとつの趣味を終えたはなし

基板と筐体をすべて処分し終えた。動く基板は欲しい人に、動かない基板はそれでも欲しい人に。難物だった筐体は天佑で処分できた。

なので、思い出話を書いて本当に終わりにしよう。

基板に手を出したのは「戦場の狼」が遊びたかったからだ。縦画面であそびたかったからだ。

だからまず最初に筐体をかった。青のコンソレット16。買うならコンソレットと決めていた。でも、ナムコ直営での稼動か、それ以外はリースらしく、なかなか買う機会がなかった。偶然にもゲーメストの広告でデモノを目にするとすぐに買った。たしか送料込みで3万円くらいだったとおもう。コンパネは2レバー、3ボタン。これならだいたいのゲームがプレイできる。当時は格ゲー全盛期だったのだけれど、ナムコは結局ブームの最後まで2D格闘は出さなかった。出たのがアレだったけど。そのあとの「鉄拳」はいまだにフロントランナーなのだから、未来は誰にもわからない。

次は基板。これもまたゲーメストを見て、FAXでカタログを取り寄せたり、電話で問い合わせたり。

そして、行けなくもない基板屋には実際に見に行った。今思い出しても、基板屋の雰囲気は独特だ。店も客も「判っている」のが前提だからだろうか。エアクッションにくるまれて棚に並べられた基板。きまってスチール棚だった。ボタン、レバーなどの消耗品。コンソレットのボタンって、独特の鋭角を持っているので、セイミツと交換するのものためらわれた。なんか、特別で、ナムコ感といえばいいのか。

結局、その行った基板屋で「戦場の狼」を買った。JAMMA変換ハーネス、インストつきで8000円だった。これまた安い。古い基板だとJAMMAじゃないのがねー。これが理由で「スクランブルフォーメーション」はあきらめたんだよなぁ。

コンソレットのいいところは、ステレオスピーカ用のコネクタが引き回してあること。ナムコのシステムI,システムIIなら即ステレオで楽しめる。とおもって、いまググったら、システムIIのステレオ側エッジ用コネクタが今は入手しにくいのね。当時はざっくばらんに売られてた。システムIには基板に直接コネクタがあったのに、システムIIではエッジになったのはなぜだろう。システムIIの基板はそんなに買わなかったので、困らなかったけど、設計思想は気になるところ。今。

戦場の狼」をめちゃくちゃ遊んだ。サービスボタンを連打してクレジットを入れまくった。基板を買って一番楽しかったのは、このクレジット入れまくり遊びかもしれない。

で、コンソレットなのでヘッドホン端子があるので、とうぜんヘッドホンでプレイ。かー、たまりませんな。ヘタでも問題なし。クレジットを入れまくればいいし、「戦場の狼」は先の面なんてないし。連射が自前なのが辛かったくらいか。あといまさらカプコンクラブにはがきも出せないし。

そのあとは基本的にカプコンナムコの基板をぼつぼつと買いそろえていった。80年代ナムコの基板はすでに高価だった。「フォゾン」は安かったか。おもしろいじゃん、「フォゾン」。「リブルラブル」の次じゃなかったらよかったのに。たぶん。「リブルラブル」はずっと高価安定、デモノもなくで買えなかったな。一番安くて68000円だったような記憶がある。CPUの型番かよ。

探しに探してやっと変えたのがコナミの「ミスター五右衛門」。めちゃくちゃ好きで、めちゃくちゃ遊んだのだけれど、あっというまに撤去されてしまった私の中だけでの名作だった。ファミコン版の「がんばれゴエモン」は違うんだよなー。今となってはアケアカで遊べるので問題なし。「ソンソン」も買った。「ソンソン」はなんか、唯一置いてある店(ゲーセンじゃない)が1Pのレバーが左、ボタンが右の逆配置の筐体で、遊びにくくて仕方なかった。あの筐体はいったいなんだったんだろう。あの店の「ソンソン」以外でみたことがない。

そうやって自宅の棚にちょっとづつエアクッションにくるまれた基板が増えていくのが楽しかった。基板は精密部品丸出しですぐに壊れる雰囲気が強くて、それもまた基板を持っているが故の気持ちで、うれしかった。専用ICが多いので壊れると直しようがなく、ジャンクを入手して移植するしかなかった。直ればうれしかった。ROMが壊れたのはどうしようもなかったけど……。合掌。

と、いろいろ楽しかった基板あそびも、いろいろあって、処分しはじめて、ついに全部手放し終わった。これで基板あそびの終了。たのしかったよ。ありがとう。

電撃祭2018秋 大感謝祭

10/7に秋葉原で開催された秋の電撃祭に行ったんだよね。なにも言ってなかったけど。

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電撃大賞の告知看板。この看板の前にスタッフさんが立っててさぁ、なんか、こう、見る人がないから見せる必要もないと判断されたようで大賞なのに扱いが雑だなー、と思った次第。もう誰も小説なんで読んでないんだな、とつくづく感じました。イラスト、まんがも同じ雑さか。

うーん。

ステージイベントでちょっとくらい大賞の結果に触れてもいいんじゃないかなぁ。

うーん。

ゲーム、アニメはそりゃ大勢の大人とお金と時間と人生を投資してるから扱いが丁寧になるのは道理なんだろうけどさぁ。

と、毎年とおなじ気持ちを感じました。

先にタイトルだけで電撃大賞受賞予想をしましたが2つあたりでした。とりわけ「つるぎのかなた」は大当たりでしょう! これは! あらすじがずいぶん思ってたのと違いましたが。やっぱり全体的に新文芸/キャラ文芸/ラノベ++のような作品がおおいなー、という最終タイトル全体から受けた印象はそのままでした。「折り鶴姫の計算資源」はめっちゃ好み。「鷲見ヶ原うぐいすの論証」が好きなんですよねー。うん。SFなんかみあたらねーな! ファンタジーも! それはなろうとカクヨムからデビューしてくれというアツいメッセージ。しかと胸に響いたぜ!

ステージイベントは「ガーリーエアフォース」が当選してました。アニメ向きだよね! 「なれる!SE」よりずっとアニメ向き!

イベント中初公開のPVを見たステージ上の出演声優さんの発言で「色がついたのはじめて見た」とあって、誰もそれに触れないって言う。わかります。

感想としては、あれだけ推してる「新米姉妹」「熱帯魚は雪に焦がれる」についてはアニメ化とか告知がないのが不思議でした。「はにがれ」は早すぎるか。

現場からは以上です。